大判例

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東京高等裁判所 昭和60年(ネ)3356号 判決

控訴人 東山博

同 東山恵津

右両名訴訟代理人弁護士 大川宏 菅野泰 仲田信範 鳥羽田宗久 黒田純吉 鈴木俊美 西田公一

被控訴人 国

右代表者法務大臣 梶山静六

右訴訟代理人弁護士 武内光治

右指定代理人 伊藤正高 外一一名

被控訴人 千葉県

右代表者知事 沼田武

右訴訟代理人弁護士 石川泰三 岡田暢雄 秋葉信幸 高橋省 今西一男

右指定代理人 志津登美男 外六名

主文

一  原判決中被控訴人千葉県に係る部分を次のとおり変更する。

1  同被控訴人は、控訴人ら各自に対し、金一九七〇万一九九三円及びこれに対する昭和五二年五月八日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  控訴人らのその余の請求を棄却する。

二  本件控訴中、被控訴人国に対する請求に関する部分を棄却する。

三  控訴人らと被控訴人千葉県との間に生じた訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを二分し、その一を控訴人らの、その余を同被控訴人の各負担とし、控訴人らと被控訴人国との間に生じた控訴費用は控訴人らの負担とする。

四  第一項の1に限り、仮に執行することができる。

事実

〔申立〕

〈控訴人ら〉

「原判決を取り消す。被控訴人らは控訴人らに対し、各自四六九〇万三六一〇円及びこれに対する昭和五二年五月八日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求める。

〈被控訴人ら〉

控訴棄却の判決を求める。

〔主張〕

次のとおり訂正するほか、原判決事実摘示のとおりである。

1  原判決五枚目表六行目から七行目にかけての「仮処分申請をなしたが」を「仮処分を申請したが」と、八行目の「飛行コース等の」を「飛行コース等に関して」と、一〇行目の「ことを熟知しながら」を「にもかかわらず、」と、一一行目の「開港のための」を「開港に」と、同六枚目表七行目から八行目にかけての「昭和五二年五月」を「同月」と、同裏三行目から四行目にかけての「催涙ガス銃」を「催涙ガス筒発射器(以下ガス銃という。)」と、六行目の「せんと」を「しようと」と、七行目の「命中させて」を「命中し」とそれぞれ改め、一一行目の「催涙ガス筒」の次に「(以下ガス筒という。)」を加え、六行目及び一〇行目の各「催涙」を削る。

2  同七枚目表七行目の各「催涙」を削り、一一行目の「平素からないしは事前または警備実施の」を「平素から、あるいは警備実施の事前に又はその」と、末行の「新型ガス銃」を「いわゆる新型ガス筒を発射するための新型ガス銃」と、同裏四行目から五行目にかけての「右指導、指揮、監督」を「これ」と、七行目から八行目にかけての「昭和五二年五月」を「同月」と、同八枚目表一〇行目の「県警」を「県警察」と、同九枚目表二行目の「寄じって」を「よじって」と、八行目から九行目にかけての「陥入らせ」を「陥らせ」と、末行の「不存在」を「可能性がないこと」と、同裏三行目の「物体であり」を「物体であるが、これに対して」とそれぞれ改め、一一行目の「選手並みの」の次に「投てき力を持った」を加える。

3  同一〇枚目表二行目の「真横に近い」から三行目の「投石にしては」までを「警察機動隊のいる方向から九〇度近く隔たった方向に投げたことになり、」と改め、一一行目の「到底」を削り、同裏一行目の「及ばず」を「及ばないから」と、同行から二行目にかけての「可能性はなく、その」を「可能性はない。同人の」と、九行目の「当れば」を「当たれば」とそれぞれ改める。

4  同一一枚目表三行目の「あるから」の次に「、」を加え、九行目の「重大な過失ないしは」を削り、一一行目の「被告国は、当時、その」を「当時、被控訴人国の」と、末行の「中村が」を「中村は」と、同裏一行目から二行目にかけての「被告県は、当時その」を「当時、被控訴人県の」と、同行の「加害警察官が」を「加害警察官は」とそれぞれ改め、四行目の「指揮(山形、海野)」の次に「、」を加え、七行目の「重大な過失ないし」を削り、同一三枚目裏七行目の「遂行」を「追行」と改める。

5  同一五枚目表四行目の「機動隊長」を「機動隊隊長」と、七行目の「埼玉県警」を「埼玉県警察」と、同行から八行目にかけての「機動隊員」を「隊員」と、末行の「昭和五二年五月」を「同月」とそれぞれ改め、八行目から九行目にかけての「昭和五二年五月八日」を、同裏末行の「あることは」の次の「、」をそれぞれ削り、一一行目から末行にかけての「先端鈍円、鈍稜で突出した」を「先端部が突出し鈍円又は鈍稜をなす」と改め、同一六枚目表八行目から九行目にかけての「(一)の(2) の事実中の亡薫が死亡したこと、」を削り、一〇行目の「同(一)の(1) 、(2) の」から一一行目末尾までを「同(一)の事実、」と、末行の「同(二)」を「同(二)の事実」と、同裏一行目の「、その余」を「その余の事実」とそれぞれ改める。

6  同一七枚目表一行目の「不知」の前の「、」を削り、九行目から一〇行目にかけての「麾下」を「指揮下」と改め、同裏一一行目、同一八枚目表一行目、同裏九行目(前の方)及び末行の各「催涙」を削り、同表一一行目の「とき」の、同一九枚目表二行目の「しながら」の、三行目の「除き」の各次に「、」を加え、五行目の「最少限度」を「最小限度」と、末行の「取扱う」を「取り扱う」と、同裏三行目の「使用すべく」を「使用させるための」とそれぞれ改め、一一行目の「すると」の次に「、」を加え、同表八行目、一〇行目及び同裏一一行目の各「催涙」を削る。

7  同二〇枚目裏一行目の「卓二」を削り、六行目の「投打」を「殴打」と、同二一枚目表一行目の「放水」を「放火」と、八行目の「警察部隊」を「警察機動隊」と、「同部隊」を「同隊」とそれぞれ改め、同裏九行目の「午前」の前に「同日」を加え、同二二枚目表七行目の「かの状態」を「かのような状態」と、同裏一行目の「ガス筒発射器」及び同二三枚目表一行目の「発射器」をいずれも「ガス銃」と、同裏一行目の「直進するとは」を「飛ぶことも」とそれぞれ改め、一一行目の前の「首を」を、同二四枚目表三行目の「みても」の次の「、」をそれぞれ削り、二行目の「あるから」の次に「、」を加える。

8  同二四枚目表一〇行目の「行っており」から同裏三行目の「状態であり」までを「行い、その状態は前記(一)(2) のとおり激しいものであり」と、一〇行目の「仮に、」を「、仮に」とそれぞれ改め、同二五枚目裏四行目の「あるばかりでなく」を「あり、また」と、九行目の「頭部受傷は、頭皮挫裂創が」を「頭皮の挫裂創は、」とそれぞれ改め、六行目の「至らなくとも」の次に「、」を加え、同二六枚目表三行目の「亡薫の」を「また、」と、同裏四行目の「亡薫」から五行目の「午前中」までを「亡薫が受傷した当時」とそれぞれ改め、同表二行目及び五行目から六行目にかけての各「いって」の次に「、」を加える。

〔証拠関係〕〈省略〉

理由

第一被控訴人国の責任について

控訴人らは、亡薫が死亡したのは、当時警察庁長官であった浅沼、関東管区警察局長であった勝田、千葉県警察本部長であった中村が、反対同盟主催の抗議集会に対する警備の実施にあたって、その指揮下の警察官に対してガス銃によるガス筒の水平発射を指示し、又はガス銃の使用を必要な限度において慎重にすべきことについての指導、指揮、監督を怠ったことによるものである旨主張する。

しかし、本件全証拠によっても、右主張のような水平発射の指示がなされた事実や指導、指揮、監督の懈怠があった事実を認めるに足りない。

したがって、控訴人らの被控訴人国に対する請求は、その余の点について論ずるまでもなく理由がない。

第二被控訴人県に対する請求について

一  県警察職員の行為と被控訴人県の賠償責任

地方自治法二条、同法別表第一の三五の二、警察法三六条によれば、都道府県に都道府県警察が置かれて当該都道府県の地域について同法二条所定の警察の責務を果たすべきものとされ、都道府県警察の管理を行うのは、同法三八条三項により都道府県公安委員会とされているが、右公安委員会は同条一項により都道府県知事の所轄の下に置かれているのであるから、結局都道府県警察の行う事務は原則的には当該都道府県の固有の事務に属し、そのうち国家賠償法一条一項所定の公権力の行使たる性質を有するものは、当該都道府県の公権力の行使にほかならない。

したがって、千葉県警察の職員が公権力の行使たる職務の執行について、故意又は過失によって違法に他人に損害を与えたときは、被控訴人県がその損害を賠償すべき義務を負うことは明らかである。

二  本件事件の発生

1  公団が昭和五二年五月二日千葉地方裁判所に対し反対同盟を債務者として千葉県山武郡芝山町岩山所在の鉄塔二基の除去を求める断行の仮処分を申請し、同月四日、同裁判所は右申請を容れて右鉄塔二基の除去を命ずる仮処分決定をしたこと、同月六日右仮処分が執行されたこと、同月八日当時、山形が千葉県警察本部警備部参事官、海野が同警備部第二機動隊隊長であったことは当事者間に争いがない。

2〈証拠〉によれば、右五月八日、反対同盟は空港第五ゲートの近くにある山武農業協同組合千代田事業所前の空き地で前記仮処分執行に対する抗議集会を開こうとしたが、千葉県警察はこれに伴って空港付近一帯の治安が害されるおそれがあると判断し、近隣都道府県からの応援も得て約四〇〇〇名の警察官による警備を行うこととしたこと、山形は右警備の実施現場における統括指揮官であり、海野の指揮する第二機動隊の一七九名も抗議集会の会場付近に出動し、会場に集合する者の検問を行っていたこと、同日午前一一時近くなって、反対同盟側の集団(以下「同盟集団」という。)が鉄パイプ等を携行して国道二九六号線を西進し会場へ向かったとの情報が入り、第二機動隊はその規制を指示されたことが認められる。

3〈証拠〉によれば、空港第五ゲートから本件事件の発生した現場付近に至る一帯のおおよその位置関係は別紙一の図面のとおりであること、反対同盟側は、当日の機動隊との衝突に備えて同図面記載の斉藤方(千葉県山武郡芝山町大里七〇番地)に負傷者の収容施設(野戦病院)を設け、反対同盟の運動に参加していた亡薫は斉藤方に居合わせたこと、同盟集団は三、四百名から成り、鉄パイプのほか投石用の石塊、火炎瓶、農薬瓶等を携行しており、当初同図面の大竹ガソリンスタンド付近で第二機動隊と対峙し、その際、同盟集団側は二台のガソリン等を積んだ自動車を機動隊側に向けて突入させ、これに火炎瓶を投げ付けて炎上させるとともに投石を行い、これに対し機動隊側は放水車による放水と催涙ガスによって規制を行い、これに続いて両部隊が接触したこと、同盟集団は火炎瓶、石塊、農薬瓶の投てきや鉄パイプで殴りかかることにより激しい攻撃を行い、一時機動隊側を後退させたが、約二〇分位すると投石をしながら次第に東に後退し、機動隊はこれを追って前進したこと、その後同盟集団は前記図面の千代田観光付近で短時間投石、火炎瓶による反撃を行ったのち、斉藤方前付近まで後退したが、そこで火炎瓶等により再度激しい攻撃を行い、機動隊側はいったん斉藤方入口西側の垣根の脇あたりまで後退して同盟集団と二〇ないし三〇メートル位隔てて対峙したのち、午前一一時三〇分ころ放水車による放水を行ったこと、このように斉藤方前で衝突が起こったことから、亡薫は、斉藤方にいた数人の反対同盟側の者と共に、機動隊が野戦病院のある斉藤方に進入するのを防ごうと考え、斉藤方入口が国道に接する部分でスクラムを組み、その大体の状況は別紙二の図面のとおりであったこと、埼玉県警察本部から派遣されていた四個中隊の機動隊は、別動隊として国道二九六号線の南側の畑の中の畦道を斉藤方裏手方面に向かい、その一部は反対同盟側の抵抗を排除して裏手から斉藤方に進入したこと、前記スクラムの左端にいて亡薫と共にスクラムを組んでいた大橋正明は、斉藤方前で機動隊と同盟集団が対峙し、前記のように放水があったのち、機動隊の別動隊の動きが気になり、中庭の方を振り向いたところ、機動隊が進入して来たのを認めたので、右隣にいた亡薫にそのことを告げ、亡薫は左回りに体をよじって後方を振り向いたが、その直後にその場に昏倒したことが認められる。

亡薫が右時刻すなわち同日午前一一時三〇分ころ右後頭部頭蓋骨陥凹骨折、開放性挫傷及び脳挫傷の傷害を受け、これにより同月一〇日午後一〇時一四分に成田赤十字病院で死亡したことは当事者間に争いがない。

三  亡薫の右受傷の原因

そこで、亡薫の右受傷の原因について検討する。

1  目撃者の供述

原審証人大橋正明は、当日野戦病院の要員で、前記のように亡薫の左隣で同人と共にスクラムを組んでいたが、後ろを振り向いていて正面に向き直った直後に左の方(国道上の機動隊寄り)でプシュッというガス銃の発射音がし、眼の前を西(左)から東(右)へ何かが横切り、亡薫が足を払われるようにすとんと倒れた旨述べ、飛来物の飛んできた方向を左前方四五度位と図示し、更に亡薫が倒れた直後国道のセンターライン上でガス筒が白い煙を吐きながらくるくる回転しているのを見た旨及び当時投石は中断していた旨供述する。

原審証人森山太一は、当日反対同盟の救護一班の班長として野戦病院におり、亡薫の右隣で同人とスクラムを組んでいたが、大橋が「裏から機動隊が来た、危ない。」と叫んだので後ろを振り向いた直後、バンバンというガス銃の連続発射音がして亡薫が吹き飛ばされるという感じで右肩を下にして倒れた旨及び放水後その時まで投石はなかった旨供述する。

原審証人原田節は、同盟集団に加わり、斉藤方前付近で同集団が機動隊と対峙した際その最前列におり、亡薫が強い衝撃を受けた感じで叩きつけられるように倒れるのを見たが、倒れる前に同人は左の機動隊の方を向いたと思う旨、亡薫が倒れるまではガス銃の発射音を聞かなかったが、倒れたのち一〇発位の連続した発射音を聞いた旨及び機動隊の放水後は投石はなかった旨を供述する。

そのほか、〈証拠〉において森山太一は、左斜め前方からバーンという音が数回聞え、二列でガス銃を構えている機動隊員六名が見えた、引き続き数発野戦病院に向かって撃たれた旨記述し、〈証拠〉によれば、吉田孝信は、スクラムに加わっていたが、左側でボッという音がし、振り向くと機動隊側から亡薫の頭部に向かって糸のような白いガス筒の飛来痕が残っているのが見え、それから亡薫が倒れた旨書面に記述していることが認められる。

以上の亡薫の受傷当時の状況の目撃者の供述又は記述は、かなり具体的かつ詳細であり、それのみを見れば亡薫の受傷がガス筒の衝突によるものであることを証明するに足りるもののように見える。しかし、〈証拠〉によれば、〈1〉右大橋正明は、警察官に対する供述調書(昭和五二年五月二五日付、同年六月四日付、同月二七日付)においては、センターライン付近で回転していたのは旧型ガス筒であったと述べていたが、亡薫の死亡に関する付審判請求手続における証人尋問(昭和五三年八月二三日)では、目撃したのが旧型ガス筒か新型ガス筒かはっきりしないと供述を改めており、〈2〉右森山太一は、検察官に対する供述調書(昭和五二年五月二五日付、同年六月三〇日付)では、国道上の左手にいた機動隊の中からガス銃を発射する「バババーン」という音が立て続けに十数発聞こえたのと同時に左横にいた亡薫が倒れたので、すぐ国道上の機動隊を見たらガス銃を持った三人の機動隊員がいるのを見た、しかし亡薫に当たったと思われるガス筒は見ていないとの趣旨の供述をしていたが、付審判請求手続における証人尋問(昭和五三年八月二三日)では、亡薫が倒れたあと国道上で四、五人の機動隊員がガス銃を構えており、そのうちいくつかは自分達の方を向いていた、その直後、斉藤方入口右端の切株の前付近の国道上で新型ガス筒(M三〇S型)のような感じのガス筒が煙を噴き出していたとの趣旨の供述をしており、〈3〉右吉田孝信は、検察官に対する供述調書(昭和五二年五月三〇日付)では、ボーンという音がしたと思ったら左の方に白い線が走るのが見え、亡薫が倒れた旨を、付審判請求手続の証人尋問(昭和五三年八月二三日)において、亡薫が倒れた時その足元で金属音がしたのは聞いていない旨をそれぞれ述べ、〈4〉前記スクラムの国道に向かって右端(左から五人目)にいた斉藤伸子は、検察官に対する供述調書(昭和五二年五月三〇日付)及び付審判請求事件の証人尋問(昭和五三年八月二三日)において、「後ろからも機動隊が来るぞ」という声を聞いて振り向いてから一、二秒した時、左の方で「ガチャッ」とか「コトッ」とかいう音(右証言の際の表現では、「カラン」とか「コロン」とかいうプラスチック製か金属製のものが地面に落ちる音)がして亡薫が首を右の方へ回し、ぼう然とした目で自分の方を見るような姿勢になってから崩れるように倒れたが、白煙も、近くに落ちて煙を吐き出しているガス筒も見なかったので、模擬筒が当たったと思った旨を、〈5〉右原田節は、検察官に対する供述調書(昭和五二年六月一八日付、同月一九日付)において、亡薫は首だけ動かし、まず左側の機動隊の方を見、続いて右側の同盟集団の方を見た次の瞬間に、両手をそろえて前に出し、体が宙に浮いたような形でたたきつけられるように倒れたが、その時、従来のガス筒のように煙も見えず、飛んで来るところも見なかったので、新しいガス筒の直撃と思った、このあと機動隊の方からガス筒が一〇発位飛んで来た旨を述べており、各供述者の供述の内容それ自体に若干の変動があるほか、供述者相互間でも供述の矛盾があることが明らかである。

このうち、ガス銃の発射音に関する形容の相違などは、これを聞く者の主観や表現の仕方に左右されるところが大きく(〈証拠〉によれば、当時の新聞記事におけるガス銃の発射音の表現も様々であることが認められる。)、必ずしも供述内容の矛盾であるとはいえないし、前記のように亡薫の受傷は前後約三〇分間の同盟集団と機動隊との激しい衝突攻防の間に、しかも両者の相対峙している真っ只中の場所で突発的に起こったものである(右各証人は、いずれも機動隊側の放水の直後にガス筒の発射も投石もない「空白状態」があったというが、仮にそのような状態があったとしても、ごく短時間のことであったとしか思われず、それによって全体の混乱と興奮に包まれた状態が著しく変わったとは到底考えられない。)から、これを目撃した者の供述の正確性にも若干疑問をさし挟む余地があると同時に、多少の供述内容の食い違いをとらえて直ちに供述全体の信憑性を否定するのも相当ではないが、少なくとも、亡薫の受傷直後に付近でガス筒(殊に新型ガス筒)が発煙しているのを目撃したとの右大橋、森山の各供述は、相互にその位置について矛盾があること、森山についてはその供述自体に一貫性がないこと、ガス筒が近くで発煙したとすれば、その煙やガス噴出音(これらについては後記2参照)や催涙作用や亡薫が受傷した事実との関係からいって強い印象を残すはずであるにもかかわらず、近くにいた他の者がこれを目撃していないことからいって、措信することができず、したがってまた、同じ大橋がしている眼前を左から右へ何かが横切った旨の供述、同じ森山がしている亡薫が倒れる前に連続的な発射音を聞いた旨の供述や、ガス銃が自分達の方を向いていた旨の供述も、にわかに措信し難いといわなければならない。また、吉田孝信のガス筒の飛来痕が亡薫の頭部に向かって残っているのを目撃した旨の供述も、亡薫の受傷時又はその直後の動静について詳細に供述し、最もよく状況を見ていたと思われる原田節や斉藤伸子が、そのような飛来痕を目撃しておらず、そのため模擬筒又は新式のガス筒が当たったのではないかと思った旨述べているのと矛盾し、また、控訴人らが主張するように亡薫の頭部に当たったガス筒が至近距離から発射されたものであることを前提とした場合、後記のような新型ガス筒における飛来痕の出現態様と符合せず、容易に措信することができない。なお、亡薫の受傷時に投石がなかったとの供述についても、当時投石自体が統一的に命令に従って行われていたと認めるべき証拠はないから、投石を否定する根拠として十分なものではない。

更に、以上の供述又は記述をしている者がいずれも亡薫と共に反対同盟の空港の開港反対運動に共鳴してこれを熱心に応援していた者であることは前記のとおりであり、空港の開港反対運動をめぐって反対同盟側と公団ないし機動隊側との間に長年月にわたって激しい衝突が繰り返され、多数の死傷者、被逮捕者を出してきたことは公知の事実であって、その結果、両陣営の間に醸成された感情的な対立は極めて根深いものがあるであろうことも容易に想像のつく事柄であるところ、亡薫の死亡が機動隊の発射したガス筒によって生じたか、同盟集団の投石によって生じたかが問題になっている本件においては、右のような客観的情勢からいって、いずれか一方の陣営に関係の深い証人からはこの点につき公正な供述を必ずしも期待することができない状況があるといわざるを得ないから、以上の供述中措信し難いとされたもの以外については、(その内容自体既に亡薫の死亡をガス筒の衝突によるものと断定するに十分なものとはいえないが、)これにある程度の証拠価値を認めることはできるにせよ、更にこれらと併せてガス筒の衝突を裏付けるような客観的な事実の有無や周辺の諸事実がこれに適合するものであるかどうかを検討する必要がある。

2  ガス筒の発射状況等

前掲中村、海野両証人は、当日使用されたガス筒は、いわゆる新型ガス筒、旧型ガス筒、模擬筒(発射音により威嚇する目的で使用されたもの)の三種類であるが、千葉県警察において当日のガス筒の使用状況を後日調査したところ、千葉県警察の機動隊が使用した新型ガス筒用のガス銃は二丁(第一及び第二機動隊に各一丁)であり、第二機動隊の一丁は午前一一時ころ国道二九六号線の大竹ガソリンスタンド付近で新型ガス筒五発を発射し、六発目を発射しようとしたところ故障し、その後修理はできたが午後二時ころ空港寄りの右国道から国鉄専用線に入るあたりで五発発射したのみであった、また、第一機動隊の一丁は、午後二時ころ第五ゲート付近で模擬筒一一発を発射したのみであった旨供述する。後述のとおり、亡薫の頭部の損傷に対する成傷器としては新型ガス筒又は模擬筒は適合する可能性があるが、旧型ガス筒は適合せず、また、弁論の全趣旨によれば、模擬筒は新型ガス筒用のガス銃によってしか発射できないものであることが認められるから、もし右供述に係る調査結果が事実であれば、本件請求はその事実的基礎を失うことになる。しかしながら、目撃者らの証言の信用性についてさきに述べたような本件事案の内容、右証人らの立場及び本件の背景をなしている空港開港をめぐる紛争の経過に照らすと、前記中村、海野の各供述から直ちにその内容を事実と認めることはできない(なお、〈証拠〉によれば、右戸村は、亡薫の受傷の当日である昭和五二年五月八日の午後、斉藤方の南東方で国道二九六号線から五、六十メートル南に位置する同人方ビニールハウス(芝山町大里七七番地)付近で使用済みの新型ガス筒一個を拾得し、同月中旬ガス筒による被害の有無を尋ね歩いていた右大熊にこれを提出し、また、右大熊は、亡薫の受傷の翌日、斉藤方の向い(右国道北側)の宮野湛方の垣根付近で使用済みの新型ガス筒一個を発見した旨述べていることが認められるが、〈証拠〉によれば、本件に関する付審判請求をした控訴人側は、同月一四日に付近一帯の遺留物の収集作業を行い、これを整理して同月三〇日に検察官に任意提出しているにもかかわらず、右二個の新型ガス筒は前記実況見分の行われた同年六月八日に初めてその存在が控訴人側から検察官に申告されていることが認められるから、前記大熊及び戸村の各供述の信憑性には疑問があり、これにより斉藤方付近で新型ガス筒が使用されたことを認めることはできない。)。

控訴人らは、同日の反対同盟に対する警備の実施に際し、山形及び海野がそれぞれの指揮下のガス銃射撃手に対してガス筒の水平発射を指示した旨主張するところ、〈証拠〉によれば、当日の反対同盟側との衝突に際して、本件事故現場以外の場所で機動隊側がガス筒の水平発射をする例が目撃されたことが認められる。しかし、この事実から直ちに、山形又は海野が当日の警備実施に際しての一般的な指示の形でにしろ、あるいは本件事故現場付近での衝突の際の個別的な指示の形でにしろ、水平発射を指示したことを認めることはできず、他に右主張事実を認めるに足りる証拠はない。なお、当日午前一一時二七分ころ(すなわち亡薫の受傷の直前)の現場付近の状況を撮影した〈証拠〉の写真には斉藤方入口前の国道上でガス筒が発射された際の状況が写されているが、これによるとガス筒は三〇度位の角度で上方に向けて発射されていることが認められる。

〈証拠〉によれば、新型ガス筒は、外周約九・五センチメートル、直径二・九五ないし三・〇〇センチメートルの円筒形部分の先端に同大の円周で半球状のプラスチック様の頭部が、後端に木質の円盤、その止め金、ゴム製の環状翼がそれぞれ付いた構造をもち、環状翼部分を除いた全長は一四・七ないし一四・八八センチメートル、飛翔体部分の全重量は約八〇ないし九八グラムであること、模擬筒もほぼこれと同一の大きさ、形状を有すること、旧型ガス筒は、長さ約二〇センチメートル、外周約一一・五センチメートル、直径約三・五センチメートルの円筒形で、先端は辺縁部が約〇・一五センチメートルの厚さで環状に突出し、後端部は新型ガス筒とほぼ同様の構造であり、全重量約一二〇グラムであること、新型ガス筒の発射の際には鋭い発射音があり、発煙型の場合、発煙の際にもガスの噴出音を伴い、発煙はかなり多量であること、発煙は発射後五、六秒経てから始まり、飛翔中であれば後ろに飛翔痕を残すが、それまでは飛翔痕を残さないことが認められる。

3  受傷場所への投石の飛来状況等

前掲大橋証人は、亡薫の受傷当時同人や右大橋が後方を振り向いて見ていたのは、当時投石が止んでいたからである、もし投石が続いていれば傍にも飛んでくるので身の危険を感じてゆっくり振り向いてはいられない、と供述する。これは、同盟集団側からの投石が亡薫らがスクラムを組んでいた付近にも飛んで来ることがあったことを物語るものである。

〈証拠〉によれば、反対同盟側は本件事件当日の機動隊との衝突に備えて、あらかじめ多量の砕石を用意し、これを同盟集団の構成員に配布し、あるいは国道脇に配置し、これが投石に使用されたことが認められる。

4  亡薫の受傷時の姿勢

後に認定するとおり、亡薫の頭部に衝突した物体は、頭部を基準にしていえば右斜め後方から飛来したと考えられるから、同人が受傷時にほぼ真後ろを振り向いた姿勢であったとすれば、右物体は国道上の機動隊の先頭のいた方角から飛来したことになり、逆に同人の頭部が国道に向かって左方の前記機動隊の方を向いている状態で受傷したとすれば、右物体は同盟集団のいた方角から飛来したことになる。同人の受傷時の姿勢については、前記のように後方から来た機動隊(別動隊)の方を左回りに振り向いた直後に昏倒したという事実に、前記原田節及び斉藤伸子の各供述を併せると、亡薫は首を回して左の機動隊の方を向き、続いて首を動かして右の同盟集団の方を向いてから倒れたこと、右の方を向いた時には既に受傷していたことが認められ、結局左の機動隊の方を向いたという原田の目撃した姿勢が、受傷時に最も近い亡薫の姿勢であるといえる。しかし、原田は亡薫が後方から来た機動隊の方を振り向いた動作は見ておらず、また、終始亡薫を注視していたとも考えられないので、右供述にいう左の方を見た姿勢が後方を振り向いた動作と全く別のものなのかどうかやや明らかでない。また、後に認定するとおり、同人が受傷したのは、ややうつむいた状態又は左に頭を傾けた状態の時に水平方向又は斜め上方から飛来した物体が衝突したことになるものと思われるところ、原田はそのような亡薫の姿勢を述べてはいないので、左の機動隊の方を向いたというのがそのまま受傷時の姿勢ではなく、受傷直後の姿勢であった可能性もないとはいえない。なお、亡薫は当時大橋正明と森山太一との間にいてスクラムを組んでいて、そのまま左回りに後方を振り向いたのであり、同人の左隣にいた大橋は、亡薫が受傷した時には正面に向き直っていたのであるから、スクラムの組み方がある程度緊密であれば頭部を真後ろに向けるような姿勢はとれなかったと考えられるが、スクラムの組み方が右のようなものでなければ、そのような姿勢をとることも可能であったと考えられるところ、当時のスクラムの状況を明確に知ることのできる証拠はない。結局、亡薫が受傷時に左の方を向いていた可能性もかなりあるものの、受傷は一瞬間に突然に起こったことであり、その瞬間の同人の頭部の向きを明確に知ることのできる証拠は見当たらないといわざるを得ない。

5  亡薫の頭部の創傷

〈証拠〉によれば、亡薫の受けた後頭部の損傷の状況は次のとおりである。

〈1〉 右後頭部頭皮の損傷の概況は、別紙三の図面のとおりである(同図面及び別紙四の図面に添付した測定表中、「錫谷測定値」は後掲錫谷鑑定における測定値を、「木村測定値」は後掲木村鑑定における測定値を意味する。なお、右各図面及び別紙七の図面上の点は、以下において符合のみで表示する。)。これを詳述すると、右損傷は、右頭頂部の右頭頂結節に接し、右耳介付着部の上方約五・〇センチメートル、後方約二・〇センチメートルの位置を先端として後上方に向かう上下二条よりなる挫裂創で、その両前端部は、極めて浅い線状をなす裂創により連絡し、その周囲には皮下出血を伴い、両後端部も連絡し、その創角はいずれも正鋭で、二条の挫裂創で囲まれた部分は不規則な紡錘形をなし、その最大幅は約一・七センチメートルである。

上部の挫裂創(a-f-h-b。以下「上部創」という。)は、長さ約四・〇センチメートルで創縁は不規則な小鋸歯状をなし、創の深さは約二・五センチメートルで多開し、上創縁のほぼ中央には幅約〇・二ないし〇・三センチメートルの表皮剥脱を伴い、この部分の組織は挫滅状である。この部分において、前端より約二・〇センチメートル程後方の下創縁部から分岐して下方に向かう長さ約〇・四センチメートルの小裂創がある。上部創の上創壁(前創壁)は鋭角的に斜めに入り込み、下創壁(後創壁)は鈍角をなし、頭皮内面及び帽状腱膜下結合織(厚さ約〇・八センチメートル)を貫通して頭蓋骨の陥凹部の上縁に達する。頭皮内面には、上部傷に相当して弱弧状に約五センチメートルの披裂創があり、上端より約三・七センチメートルの間頭皮表面の上部挫裂創に開通する。

下部の挫裂創(c-g-d。以下「下部創」という。)は、長さ約三・五センチメートルの弦を前方に置く弧をなし、創縁は小鋸歯状を呈するが、やや鋭く、その周囲には全長にわたって前(上)創縁に幅〇・二ないし〇・三センチメートル、後(下)創縁に幅〇・一ないし〇・二センチメートルの表皮剥脱と軽度の挫滅を伴い、前端部から約〇・五センチメートル程は、極めて浅い裂創で線状をなし、それから続いてわずかに多開した形状を示し、深さは〇・八センチメートル前後で前創壁(上創壁)は鋭角的に斜めに入り込み、後創壁(下創壁)は鈍角をなし、頭皮内に留まって頭皮内面には達していない。

頭皮の厚さは〇・五ないし〇・八センチメートルである。

〈2〉 右後頭部頭蓋骨の骨折の概況は、別紙四の図面のとおりである。これを詳述すると、頭蓋穹窿部の右頭頂結節の下部(右頭頂骨の下やや後方)に、前記の右頭頂部の損傷に相当して、長径を後上方より前下方に置き、長径の長さ約五・二センチメートル、短径の長さ約三・五センチメートルの楕円形(但し、下端部には小さな突出部がある。)を呈する陥凹骨折がある。下端は右側頭骨後方の鱗部上縁にかかり、人字縫合右脚の下前方に位置し、上、下縁とも弧をなし、骨折縁は正鋭で、上縁の右頭頂結節に相当する部分に前後径約一・五センチメートル、上下径約〇・五センチメートルの小骨片(そのほぼ中央部で二分されている。)が半ば剥離して上方は内側に、下方はやや外側に突隆して付着している。陥凹骨折の前(上)の非陥凹側の縁は刃物のように尖っている。

陥凹骨折の周辺に付随する線状骨折の顕著なものとしては、陥凹骨折の前縁(j)より前下方に向かい右側頭骨を横断して頭蓋底に至る骨折があり、同骨折は、約〇・二センチメートル離開し、中頭蓋窩の右側中央部を通り、右中頭蓋窩の前縁に向かい、右前縁に達して終わり、中頭蓋窩におけるその長さは約七・〇センチメートルである。右骨折の開始部より前方約一・五センチメートルの鱗状縫合に端を発して鱗状縫合の下部を前下方に進み、再び鱗状縫合に連なり、縫合離開を形成する全長約五・五センチメートルの骨折があるが、離開部分は頭蓋外板のみで内板には骨折も離開もない。更に、陥凹骨折の後縁(i付近)に端を発して人字縫合に平行して上がり、矢状縫合近くで終わる長さ約五・二センチメートルの亀裂骨折がある。右jに端を発する骨折とi付近に端を発する骨折とは、陥凹骨折部を挟んでほぼ一直線をなしている。

陥凹骨折の陥凹した骨折片には、上縁から下方約一・〇センチメートルの箇所(m)に交差部を置き、放射状に広がる五条の骨折(更に、途中から枝分れしたもう一条の短い亀裂骨折も認められる。)があり、陥凹部分はすり鉢状を呈し、その上(前)縁は内板・外板とも骨折し、下(後)縁は外板のみが骨折している。陥凹の深さの程度は、右交差部及びこれに続く前上縁の開離部で最も著明で、上下及び後方に行くに従って浅くなり、下端部では浮上する。右交差部は上(前)縁から下方に約一・三センチメートル、下(後)縁から上方に約三・三センチメートルの位置にあり、その深さは一・二センチメートル前後で、五条の骨折のうち、前後に走る骨折二条は、長さ約三・五センチメートルの弦を下方に置く一個の弧をなし、これと交差して、交差部から長さ約二・五センチメートルの骨折一条が前上方に、長さ約一・五センチメートルの骨折一条が後上方に、長さ約二・二センチメートルの骨折一条が下方にそれぞれ向かい、前上方の陥凹部分の上縁部は、深さ一・二センチメートル前後陥入し、その外板の表面が非陥入部分の内板の内面より低くなり、このようにしてできた最大幅〇・七センチメートルの骨の隙間から血液の混じった脳実質が漏出し、その表面に頭髪三条が付着していた。この楕円形を呈する陥凹骨折に相当して右側頭筋には高度の出血があり、帽状腱膜下にも広範な出血部分が存し、右頭頂結節に相当して厚さ約一・〇センチメートルの血腫が形成されている。陥凹骨折の前上方の縁には、幅〇・二センチメートルの外板の剥離がある。

〈3〉 頭蓋骨の厚さは、最も厚い部分で約〇・八センチメートル、最も薄い部分(陥凹中央部)で〇・一五ないし〇・二センチメートル、陥凹部後縁で〇・五ないし〇・六センチメートル、陥凹部下方の鋸断線で〇・五五ないし〇・七五センチメートルである。右半球の硬膜には陥凹骨折の上・前縁に相当して長さ約三・八センチメートルの裂創があり、また硬膜下には大きさ七×五×〇・五センチメートルの薄片状の硬膜下出血がある。大脳右半球の穹窿面にはほとんど全面に広がる軽度のクモ膜下出血があり、前記陥凹骨折に相当しては長径約四・五センチメートル、短径約一・〇センチメートルの多開した挫滅部(深さ約一・〇センチメートル)があり、周囲には右中心後回及び右側頭葉上回にかけて前後径約五・〇センチメートル、上下径約七・〇センチメートルにわたり高度の脳挫傷がある。大脳左半球にもほとんど全面に広がる軽度のクモ膜下出血があり、中心前回には粟粒大、半米粒大の脳挫傷数個が散在する。右側頭極には米粒大、半米粒大等の脳挫傷が多数存在する。左右半球とも脳腫脹が高度で脳回は偏平となっている。中脳水導上部に米粒大の出血があり、水導内にも凝血を認める。大脳底部の右外側後頭側頭回、右側頭葉下回にも半米粒大の脳挫傷数個が散在する。右海馬回鈎には半米粒大の出血があり、天幕截痕を存して脳ヘルニヤを形成している。右直状回、右眼巣回には小豆粒大、米粒大の脳挫傷がある。右側小脳扁桃内部に大豆大の出血二個があり、小脳背側には広くクモ膜下出血が存在する。延髄腹側の表面は広く出血し、内部に粟粒大の点状出血二個を認める。橋内部には粟粒大等の多数の点状出血が散在し、第四脳室内にも凝血がある。

頭蓋底部では右中頭蓋窩に広く鶏卵大の凝血が付着し、左右錐体にほぼ鶏卵大の出血、トルコ鞍部の前縁に沿って頭蓋底部の骨質内に左右径約三・〇センチメートル、前後径約一・〇センチメートルに及ぶ出血がある。

6  前記創傷の発生原因に関する法医学的な諸見解

以下においては、当事者双方から主張されている新型ガス筒及び石塊がそれぞれ亡薫の死亡の原因となった成傷器としての適合性を有するかどうかの点に重点を置きつつ、諸家の見解の主要な点を記述する。

(一) 木村鑑定

〈証拠〉によれば、千葉地方検察庁検察官の嘱託に基づく鑑定のため昭和五二年五月一二日亡薫の遺体の解剖を行った木村康(千葉大学教授)は、前記損傷の成因を、先端部分が鈍円又は鈍稜状に突出した直径三・八センチメートル又はそれ以下の円筒状の鈍器が後下方から前上やや左方に、頭蓋穹窿に対して約四五度の角度で衝突したことによるものと判断し、また、具体的な成傷器としては、円みを帯びた作用面積一六平方センチメートル以下の石塊の衝突による可能性も全面的に否定はできないが、エネルギーの点や頭皮の損傷の状況からいって可能性が低く、旧型ガス筒の可能性はなく、新型ガス筒、模擬筒による可能性は大であるとする(以下、前記証拠による同人の意見を「木村鑑定」という。以下において諸家の見解や研究結果を挙示する場合もこれに準じた呼称を用いる。)。その理由は、次のとおりである。

ア 表皮の挫滅及び剥脱は、その部分に直接外力が加わったことを示す。したがって、h、弧c-g-dには直接成傷器が作用したものと見られる。これに対して、表皮の挫滅又は剥脱を伴わない部分の挫裂創は、外力が間接に作用したために皮膚が過度に伸展された結果形成されたものである。

イ 楕円形に陥凹した骨折縁は、その大部分につきこれに相当する位置の表皮の剥脱を伴っている(もっとも、下部創と陥凹骨折の下縁部分(以下「下部骨折縁」という。)はほぼ位置が一致していたが、上部創と陥凹骨折の上縁部分(以下「上部骨折縁」という。)とでは位置にややずれがある。)ので、直接その部分に外力が作用したことによる骨折(直接骨折)と見られる。なお、本件のような大きさが四センチメートル平方以内の陥凹骨折は直接骨折である場合が多いというのが通説である。

ウ 上部創の頭皮を貫通する部分は、斜めに前上方に入って、楕円形の上部骨折縁の付近に達しており、外力が加わった際に右骨折縁の陥凹しなかった方の部分が内側から斜めに入り込んで右部分の創傷の形成に寄与したものと思われる(頭皮の厚さは約一センチメートルであるが、上部創の深さが二・五センチメートルあるのは右のようにして斜めに創壁が形成されたためである。)。解剖の際にも骨折縁が一部裏側から頭皮内に嵌入していることが認められた。骨折と頭皮の損傷との位置関係は、別紙五の図面1(但し、別紙五の各図面は説明の便宜のために作成されたものであり、必ずしも正確なものではない。)に近い。これによると、上部創と上部骨折縁とがかなり離れているが、h付近の帽状腱膜が剥離していたことやc-g-d創により頭皮が裂けたことに加えて、一般に頭皮自体も〇・五ないし〇・六センチメートル位伸び又は移動するので、右骨折縁と上部創との位置関係に多少のずれがあっても矛盾はない。

エ mは、そこから放射状に骨折線が走っていること及びそこが特に陥凹しているところから見て、打撃の中心と考えられ、これにほぼ対応する頭皮表面のhに成傷体の先端部分が衝突したものと見られる。

オ m、nを含む骨片の平面に対して垂直な線が外力の作用方向であり、これを測定した結果、頭蓋穹窿面と四五度(右後下方)の方向が得られた(その一方では、mを中心として数個の骨片により形成されているすり鉢形の陥凹部分の各面に対しそのいずれにも偏らない中心軸を想定して作用方向を決定した、それは別紙四の図面の上ではq、lの中間からmに向かう方向である-第一回証言-とも言い、また、jからiへの方向である-第二回証言-とも言う。)。なお、右作用方向は矢状面(人体を前後に縦断する面)に対して三〇度の角度をなすものである。m-nよりm-oの方が長いこと、上部創における頭皮の表側の創口a-f-h-bと頭皮内側の傷との位置関係、下部創の前方が後方より表皮剥脱が顕著であること(前縁の方に力がより多くかかっていることを物語る。)や、i-n部分で頭蓋骨が強く離開していることも、右のような作用角度を裏付けるものである。頭蓋底部に生じている脳挫傷、延髄周囲の出血は、斜めに力が作用したために脳が回転して生じたものと考えられる。

カ 以上と、陥凹骨折の辺縁部の形状、陥凹がm、n付近で深いこと、陥凹部の中で打撃の中心mが占める位置、創壁の角度、上部創、下部創以外には皮膚の損傷がないこと等の状況からすると、本件創傷は、先端が突出して鈍円又は鈍稜をなし、周囲が円筒状の表面平滑な物体が後下方から衝突し、突出部が上部創中の挫滅部を強打し、上部骨折縁が頭皮に嵌入して上部の挫滅創を形成し、次いで成傷器の曲面と下部骨折縁とに挟まれて下部に弧状の挫創が形成されたものと推測される。なお、下部創の形状から推定される成傷器の直径は約三・八センチメートル又はそれ以下であり(その計算方法は別紙六のとおり。)、右直径は少なくとも(垂直に近い角度で衝突した場合を想定しても)m-nの距離一・五センチメートルの二倍を下ることはない。また、この創傷を投石によって生じさせるのは、エネルギーの点や擦過傷が存しないことなどから見て、一般論としてはかなり困難というべきであるが、肩の力の強い者が至近距離から下手投げ(すなわち、石塊が下から上に向かって回転するような投げ方)で投げれば、可能性はある。

(二) 錫谷鑑定

〈証拠〉によれば、亡薫の死亡に係る付審判請求事件について千葉地方裁判所から鑑定を求められた錫谷徹(北海道大学名誉教授)の見解は次のとおりである。

ア 成傷器の形状と頭蓋骨の骨折の形状との関係についての一般的な法則はなく、骨折箇所は成傷器の角、稜などと密接して生ずることも離れて生ずることもあり、円弧等の特徴のある形状の骨折が成傷器の形状と合致しないことも少なくない。しかし、破裂骨折の場合においては、骨はその伸展方向に直交して離断するものであるところ、陥凹部分の長径に沿ってi及びjからそれぞれ外方に向かう二本の線状骨折は、その方向及び長さ(それらを合わせると頭蓋骨をほとんど半周する程となる。)からして、頭蓋骨が扁平化したことによる破裂骨折であると見るべきであり、外力は右線状骨折を結ぶ線上の骨表面に対して垂直又はそれに近い角度で作用したものと考えられる。i、s、u、n付近の骨の陥凹が他より大きいのは、その部分の骨が弱かったことによるものと説明できる。以上から、外力の作用方向は右後上方から左前下方へ、水平より一五度下方へ向かうものと認めるべきである。

骨折線k-qは表皮の下部創と位置がほぼ一致しているから、右骨折は成傷器の角、稜と一致する直接的屈曲骨折とみるべきであり、また、k、i部分の骨の外板剥離、s、u、t、v付近の骨剥離(陥没)からみて、k、i部分では成傷器が骨折縁を擦過し、sを中心とする剥離部を押し込むように内部に向かって嵌入したもので、その際成傷器は弧q-k-i-s-uに皮膚を介して密着したものである。この弧はほぼ半円形であるから骨陥凹口の面における成傷器の作用部の横断面は半円形を含むものと推定され、その直径はn-o間の距離に近い。弧q-l-jはその形状から見て間接的屈曲骨折であり、六本もの放射状の骨折は均等に押し広げようとする力がかかったことを示すものであるから、半球又は鈍稜を有する多角錐の作用したことを意味する。陥凹した骨片はl、j付近で最も浅く、s付近で最も深くなっているが、骨は均質でないから、これから作用角度を推定することはできない。

上部創は、骨陥凹部のほぼ中央部の上方に位置し、内部に向かって陥凹し、過伸展により離断して裂創となったものであり、木村鑑定にあるように皮下からの骨折縁の刺入によって形成されたものではない。頭皮内側の創口は、帽状腱膜下組織に生じた血腫に基づいて生じたものと考えるべきである。hの挫創は、直下の骨と成傷器とに挟圧されてできたものであり、成傷器の先端がここに当たったと考えられる。そしてa-h、h-bの創縁の長さはほぼ等しいから、成傷器は先端からの両側面が対称的な形態のものであり、また、右裂創も成傷器の作用方向と直交する方向に形成されたものであり、先進先端から離れた辺縁部までも右のような創傷を形成する力が作用していることは、成傷器が前進嵌入するにつれてその嵌入部分の径が漸次大きくなることを意味している。

下部創は、両創縁ともその全長にわたって表皮剥脱を伴っているから、どの部分にも鈍体が強く接触して生じたものであり、それが境界明瞭な円弧状の挫創であること等から見て、直接的屈曲骨折による骨折縁と成傷器とに挟まれて形成されたものと考えられる。なお、弦c-dの長さは二・九〇センチメートルであるが、成傷器が去って皮膚が平面状に復すると傷は広がるから、下部創は直径二・九センチメートル以下の成傷器によっても形成可能である。

hとmとが重なるようにし、かつ、下部創がなるべく陥凹骨折の下(後)縁と等距離で並行するように調節して別紙三と同四の各図面を重ね合わせてみた結果(実物の二倍大)は別紙七のとおりであり、亡薫の頭皮の厚さが〇・五ないし〇・八センチメートルであることを考慮すると、下部創の発生機序に関する上記の推定が裏付けられる。これに対し、上部創は、頭皮が内部に向かって膨隆伸展して発生した裂創と考えられるから、本来陥凹骨折の骨折縁とは無関係のはずであり、実際別紙七の図面においても上部骨折縁とはn-m間において一・三〇センチメートル隔たっている。もし上部創が上部骨折縁の内部からの刺入による刺傷であるならば、その外創口すなわちa-h-bの創口まで右骨折縁が到達していなければならない。頭皮は頭蓋骨との間にかなりの移動性があるから、上部創だけを考えた場合にはそれは想定不可能ではないが、そう仮定すると、下部創が下部骨折縁から離れ過ぎ、上記のように動かし難いその発生機序の説明と矛盾することになる。なお、頭皮内部の各層の構成成分、特に繊維等は部位によってその強さ、走行等が著しく異なるので、同じ方向の力が作用しても、組織の挫滅、離断方向は必ずしも一定しないのであり、しかも本件創傷における創洞は短いものである上、前記のとおり上部創の奥の部分の創壁の傾斜には帽状腱膜下組織に生じた血腫が影響しているから、創壁の傾斜の方向から成傷機序を推定することはできない。

上部骨折縁の位置に相当する皮膚面は上部創より約一・〇センチメートル離れた所になるが、この部分には挫創も表皮剥脱も認められない。この理由は、骨の離断が成傷器との接触線よりやや内方(m寄り)に発生したため、それより外側の骨は表面から深部に向けて圧迫され、その結果外板だけが剥離して内側にまくれ込む(k-i-s-u部分の骨折縁に認められる外板剥離)程湾曲し、鈍円な骨折縁を形成することとなり、その上面の皮膚はこの鈍円な縁に向かって成傷器により圧迫されたので、挫傷も表皮剥脱も生じなかったものと推定される。また、jから下方に向かう線状骨折は、成傷器が嵌入した時には現在の状況以上に広く開いてi-s-n骨折縁と成傷器との間の圧力を減じたものと推定される。頭皮表面における表皮剥脱が、その下層の骨に向かって特に強く圧迫された部分にだけ発生している点から考えると、成傷器は、作用部の表面の滑らかな硬鈍体と見られる。

イ 次に脳の損傷について見ると、左半球には限局性の損傷としては中心前回にだけ脳挫傷がある。このように外力の作用点の反対側に一箇所だけ限局性の損傷が発生している場合には、これが対側打撃(コントル・クー)によるものであることはほぼ確かである。したがって、外力の作用点の直下に当たると考えられる右中心後回及び右上側頭回の脳挫傷と上記の左中心前回を結んだものが、おおよその力の作用方向である。陥凹骨折存在部の骨表面に垂直の方向の力の作用線は、左中心前回のやや下方に偏するが、ほぼ近接しており、アで骨折の状況からした力の作用方向の推定と矛盾しない。

ウ 頭蓋骨の陥凹部の直径をn-oの距離である三・五センチメートル、頭皮の厚さを〇・五センチメートルと仮定し、陥凹部の深さを一・二センチメートルとして、頭皮を被った成傷器の半球部分の嵌入により右陥凹が生じたものとして、これから右球の直径を算出すると、別紙八のとおり三・七五センチメートルとなる。これは頭皮を被った球の直径であるから、球の正味の直径は約二・八センチメートルである。

骨の陥凹の深さ一・二センチメートルは成傷器の皮膚への嵌入の深さと等しい。これに基づいて、球面に沿い、嵌入した先端と嵌入部の底縁つまり頭皮表面と接する部分との間の弧(別紙九の弧M-B)の長さを計算すると、右別紙記載のとおり約二センチメートルとなり、a-h創、b-h創の長さとよく一致する。

以上の計算は、陥凹部口縁に内接する半球の直径をn-oと仮定した場合であるが、この大きさは考えられる直径のうちで最小のものである。q-o-k-i-t-vの陥凹口縁に内接する最大の円を作図してみると、直径四・〇センチメートルである。亡薫の頭皮の厚さは前記のとおり〇・五ないし〇・八センチメートルであるから、以上により想定される範囲で上記の方法により計算した結果は次のとおりである。〈表 省略〉

以上のように、半球直径の計算値は二・二センチメートルから三・五センチメートルまでの範囲内にある。

次に、これらの半球直径の計算値について、上記の方法により弧M-Bの長さを計算すると次のとおりである。〈表 省略〉

この表によると、半球直径が二・七センチメートル以上では弧M-Bは二・〇センチメートル以上となり、半球直径が二・六センチメートル以下では弧M-Bは一・九センチメートル以下となるが、半球の球面に皮膚が密着して生じた裂創であるa-h創及びb-h創が発生した瞬間の長さと現在の長さを比較して考えると、球面が全部皮膚陥凹部へ嵌入し終わるより以前に裂創が発生するなどして、球面の底縁つまり頭皮表面の線まで全長にわたって破裂するとは限らないし、裂創発生後成傷器が去って元の平面に復した時に収縮することもありうる。これらのことを考えると、皮膚表面より陥凹底までの弧の長さがa-h創、b-h創よりも短いことはありえない。したがって、右表において弧M-Bの長さが一・九センチメートル以下の場合、つまり半球直径が二・六センチメートル以下のことはありえないということになる。

エ 以上をまとめると、亡薫の頭皮創傷、頭蓋骨骨折、脳損傷の成傷器と成傷機序は次のようなものと推定される。

〈1〉 成傷器の作用部は半球あるいは半球の一部と推定され、その直径は二・七ないし三・五センチメートルである。

〈2〉 このような表面滑らかな球頭の硬鈍体が、頭皮創傷、頭蓋骨陥凹骨折の存在する部分の表面に対して、ほぼ垂直の方向に激突して、これらの損傷が惹起されたものと推定される。頭部全体についていうと、この方向は右後上方より左前下方に向うものである。

〈3〉 前記のような条件を備えた成傷器として、具体的にどのようなものがあるかを考えてみると、自然物としては石塊が考えられる。そのような石塊が存在する可能性はあるが、その確立は非常に小さいと思われる。

人造物には、前記の条件を充たす物は少なくない。球頭でなく先端が長軸に対して直角又は斜めに、平面的に切断された物については、このような形状の物の先端が撞木で鐘をつくように作用した場合には、本件陥凹骨折のように、最深部を中心として、均等に放射状に六本もの骨折線が発生する可能性はほとんどなく、本件創傷のように頭皮裂創の中点部分にだけ著明な表皮剥脱、挫滅が発生することもない。

また、このような物体の先端が斜めの方向から作用した場合、あるいはその先端に近い側面が作用した場合には、頭皮の上部創、下部創及びk-o-q骨折縁が発生する可能性はあるが、骨折のs-t、u-v縁とm付近の最深部陥凹が共存することはない。つまり、平面先端の辺縁でm付近の最深部陥凹ができたとすれば、s-t、u-v縁の骨折はできないし、逆に平面先端の辺縁でs-t、u-v縁の骨折ができたとすれば、これに引っ掛かってm付近の最深部陥凹ができないからである。

〈4〉 次に、ガス筒が成傷器となりうるかどうかを検討する。

旧型ガス筒は、先端の直径が三・六二センチメートルである。これが厚さ〇・五センチメートルの頭皮を被ってほぼ垂直に衝突したとすると、その直径は四・六二センチメートルとなる。ところが、骨陥凹部の口径は前記のとおり三・五ないし四・〇センチメートルにすぎないから、このガス筒は頭皮を被って頭蓋骨に嵌入して陥凹骨折を惹起することはない。また、このガス筒の先端面は周囲に幅〇・一〇ないし〇・一三センチメートルの堤状部があり、中央はくぼんでいるから、陥凹骨折部に最深部を中心とした放射状骨折を形成することはない。仮にこのガス筒が垂直でなく斜め後下方から飛来してその側面で頭皮の下部創及びk-o-q骨折縁を形成したものとしても、その場合対側の骨折縁が形成されないことは、この骨折縁が右飛来方向に対して凹の弧をなすのに対し、ガス筒先端面が平面であることから明らかである。以上の理由により、旧型ガス筒は成傷器たりえない。

新型ガス筒と模擬筒とは、重量が多少違うが、先端部の材質は同じであり、その形状も球の一部である点同じである。ただ球頭部分の底面直径は新型ガス筒が約三・〇センチメートル、模擬筒が約二・九センチメートル、高さは新型ガス筒が約一・五センチメートル、模擬筒が約一・二センチメートルで、僅かに異なっている。計算すると、両者の球頭をなす球の直径はいずれも約三・〇センチメートルであり、高さが異なるだけであるが、前記のとおり成傷器の皮膚嵌入の深さは一・二〇センチメートルであることからすると、その成傷器としての適合性を考える場合には大差はない。そこで、球頭の直径を三センチメートル、骨陥凹部の深さを一・二センチメートルとし、かつ、成傷器が頭部表面に対し垂直に衝突したものとし、頭皮の厚さが〇・五ないし〇・八センチメートルの場合の骨陥入口における頭皮を被った球及び球そのものの横断面の直径を計算すると(計算式は別紙一〇のとおり)、次のとおりである。〈表 省略〉

これらの各値の直径による円を陥凹骨折部分の図面に当てはめてみると、いずれの場合も円は骨陥凹口によく適合している。もっとも、骨折縁s-u-nの部分では円は右骨折縁からはみ出るが、t-v骨折縁よりも内側に納まる。この部分で円が骨折縁からはみ出るのは、この部分の骨が外板が剥離して内部(深部)へまくれ込んだような形になっていることの原因として説明がつく。jから出発する線状骨折の離開も、このはみ出た部分の嵌入を可能にしているものと考えられる。

以上は、頭蓋骨陥凹口における横断面の状態であるが、頭蓋骨陥凹部の縦断面の状態を検討しても、最深部のmを通り、最も浅い位置にある骨折片を含むn-o線の縦断面において見た場合でも、嵌入した頭皮を被った球面と骨折片との位置関係は矛盾なく説明がつく。

また、球面の嵌入した部分の弧の長さは、上部創a-h-bの長さに等しいか、あるいはこれより長いかであるが、mから見て上部創の両端が下部創の両端より遠くにあることからいって、両者の長さはほぼ等しいものと見てよいであろう。これに基づいて陥凹した骨の深さを計算すると(計算方法は別紙一一のとおり)、一・一五センチメートルとなり、これは実測値とよく一致する。

創傷の位置と成傷器の半球の接触範囲との関係を考えると、hを中心としてa-h、b-hを半球とする円を描くと、別紙一二の図面のとおり、下部創はこの円の内側にこれにほぼ並行して存在する。円周との間隔を図上で測定すると、c付近で最大で約〇・四センチメートル、g付近で約〇・二五センチメートルであり、dではほとんど内接している。そして下部創の創縁にある表皮剥脱はこの円周にほぼ接している。つまり、この図面に示された円周は、成傷器の嵌入部分を覆った皮膚の底縁、言い換えると皮膚の陥凹部と周囲の皮膚の平坦部との境界線に相当する。下部創が円の内側に間隔〇・四センチメートル以内で並行しているのは、この成傷器の球部が陥凹骨折を惹起した瞬間、骨折縁との間で皮膚が強圧されて発生したものであるから、皮膚の厚さにほぼ近似した距離だけ円周(皮膚陥凹口境界線)から内側に離れて存在するのであると考えると極めて合理的に説明される。

以上によれば、ほとんど断定に近い確率をもって、新型ガス筒又は模擬筒が成傷器であると推定することができる。

(三) 松倉意見

〈証拠〉によれば、本件における成傷器の種類・用法等について被控訴人千葉県から意見書の提出を嘱託された松倉豊治(兵庫医科大学教授)は、木村康作成の鑑定書(〈証拠〉以下「木村鑑定書」という。)を検討した上、これについての次のような意見を述べる。

ア 右頭頂部挫裂創の成因について

木村鑑定書では、皮膚面の挫裂創と頭蓋骨の骨折との位置的な対応関係が明白ではないが、

〈1〉 仮に、木村康が原審証人として述べたように、下部創が陥凹骨折の下縁にほぼ重なるような位置関係(別紙五の図面の1)にあるものとすれば、成傷器の先端の突隆部がmを中心とする陥凹骨折を作り、それに該当してh部分の分岐創及びこれを含めて上下方向に不整形の挫裂創を作ることもありうる。しかし、成傷器がそのまま内部、内腔に穿通しているのではない本件の場合、右分岐創を含めて上後方向及び下前方向に合せて長さ四センチメートルにわたり相当の表皮剥脱を伴う挫裂創(上部創)ができるとは考え難い。殊に、上部創が上部骨折縁の頭皮への嵌入によって生成されたということは、両者の位置関係からいって理解できない。すなわち、o-m-nは三・五センチメートル、g-hは一・七ないし一・八センチメートルであるから、上部創が右のようにして形成されるには、g-h間の距離が一・七センチメートル位伸びなければならないはずであるが、頭頂部では頭皮の動きの幅は〇・五センチメートル程度にとどまる。また、創壁が斜めに形成されているとはいえ、頭皮の厚さからいって、上部創の深さが二・五センチメートルもあったというのも不可解である。

一方、下部創の成因については、下部骨折縁との位置の対応関係は認められが、それが成傷器の曲面と下部骨折縁とに挟まれて形成されたという点は、一方が曲面であって加圧力が平等でないこと、他方が骨折を来しており、したがって、その固定状態(支持)が安定していないことからして、下部創のような長さ約三・一センチメートルの、しかも幅広い表皮剥脱を創口周辺にもつ挫裂創を作る程の挟圧が加わるとも考え難い。

なお、上部創、下部創の前(上)創壁がいずれも鋭角をなし、後(下)創壁がいずれも鈍角をなし、かつ、下部創は頭皮を貫通していないということも、上記の両創の生成理由からは理解し難い。このような創形は、皮膚の上から創壁の方向に角稜部分が進む打撃力の働きによって生ずるのが最も自然であるからである。

〈2〉 次に、上部創がi-n-jの骨折とほぼ重なるような位置関係(別紙五の図面の2)にあるものと仮定すれば、下部創の上(後)方約三分の二がmを通る陥凹骨折の中心線にほぼ当たることになる。この場合、上下両創の間隔が一・七ないし一・八センチメートルであることがmとi-n-j骨折との間の最大間隔約一・五センチメートルというのと若干適合しないが、僅かのずれでもあるし、また、i-s-u骨折の上方にある随伴骨折の部分まで含めて考えると、特に矛盾するとまではいえない。また、hからの分岐創は右随伴骨折の部分に当たることになるが、これも理解できないことではない。しかし、上部創全体が粗面を持つ鈍体の打撲ででき、その直下で右骨折ができるというのならともかく、円筒型鈍体の突隆した曲面と骨折縁との挟圧によるというのでは理解し難いことは、〈1〉で下部創について述べたとおりである。

一方、この位置関係で下部創の生ずる機序は、〈1〉の場合における上部創の場合と同様、「円筒状鈍体の突隆部がmに当たる」というメカニズムの下での挫裂創として絶対できないことはないが、その鈍体が内部まで穿通していない状況の下では、挫裂創自体の大きさ、形態が不自然であり、また、下部創の下(前)方三分の一の範囲と陥凹骨折線とが不一致である。

〈3〉 次に、上部創、下部創のいずれもが陥凹骨折の骨折縁と重なり合わず、両創がそれぞれ上下の骨折縁から多少離れてその内側に位置する(別紙五の図面の3)ものと仮定すると、衝突する鈍体の表面に上下の骨折縁、上下創のそれぞれに相当するような各別の隆起部分ないし角稜があれば、この仮定のような挫裂創と骨折線との対応関係を生ずることは容易に理解できる。そして、ある程度の重量があり、かつ、投げ又は飛来させることのできる石塊の類いであれば、右のような性状に適する表面を持つものがいくらでも存在するのであるから、そのような鈍体を本件の成傷器と想定することは決して無理とはいえない。このようにみた場合、直接打撃力が作用したとみられるmに相当する部分の表皮には剥脱がないが、成傷器のその部分がたまたま平滑であれば、そういうこともありうる。

イ 石塊の成傷器としての適格性に関する木村鑑定書の見解について

木村鑑定書は、成傷器が石塊の場合は皮膚の傷はもっと不規則なものとなるはずであり、また、頭部が固定されていない場合には石塊による成傷は不可能であるようにいうが、頭皮の挫裂創の形状、大小、配列は当該鈍器の表面の凹凸その他の構造、配置に関わるもので一律には定められないものであり、また、一定の速度で飛来する石塊の衝突であれば、頭部が固定されていない状態の場合でも(固定されていないとはいっても、頭部の傾斜、回転等の変位にはある程度の限度があることは明らかである。)、強力な衝撃力が働くことも決して稀ではない。

一方、頭皮の創傷と骨折縁との位置関係が前記ア〈3〉のようなものである場合、上部創及びhからの分岐創が円筒の先端によって生じ、かつ、その中心部が陥凹骨折の最深部mに当たる、というような対応関係にならないし、下部創の発生メカニズムも木村鑑定書に述べられたようなものではありえないから、鈍器が円筒形のものとは考えられない。その円筒形の先端が、平らであるか、縁に環状の突出部分をもつものであるとするならば、上部創、下部創のようなほぼ並行する創傷が形成されることも考えられないではないが、その円筒形の直径は、木村鑑定書によれば三・〇ないし三・八センチメートルと推定されているのであり、現実の上部創、下部創の間隔一・七ないし一・八センチメートルとの差がありすぎる。また、円筒の先端が球形又は鈍円形であれば、その先端の中央を中心とした挫裂創ができるのが普通であるので、この点でも木村鑑定書の推定する成傷器は創傷に適合しない。

ウ その他の問題点

〈1〉 打撲の強さ(衝撃力)の問題

本件右後頭部の骨折は、局所的にかなり著明なものであるとともに、周囲にいくつかの随伴骨折があり、その一部は頭蓋底にも及んでいるのであって、これを生じさせた衝撃力はかなりなものであったと考えられる。

一般に、ある物体の打撃力、衝撃力は、その物体の重量と作用時の速度とによって決せられるものであるから、本件でガス筒を成傷器として想定するとしても、また人力による石塊その他の器物の飛来を考えるとしても、この点の詳しい検討が必要である。また、この衝撃力に関しては、作用物体の硬さも問題になる。本件では頭腔内における脳損傷の程度も著明であり、これは衝撃力の深達性が強いことを示すもので、これは、物体の速度のほかに、その硬さについての考察も重要なことを意味している。

〈2〉 挫裂創の配置及び骨折の全体の形が楕円形に類するという点について

本件の成傷器として前記のような石塊類を想定する場合には、ほぼ損傷の形状に近い打撃面を有する物であれば、その直撃によって本件のような頭皮及び頭蓋骨の損傷を発生しうることはみ易いところであるので、特別の問題はない。

また、円形の断面を持つ円筒形の器物が斜めに作用することによって本件損傷が生じたとする木村鑑定書の判断は、その点だけを見れば、一応妥当ということができるが、本件のように、その器物が内部に穿入せず、斜めに当たったのちその局所から跳躍するような打撲の仕方のときは、必ずしも円筒形の器物が楕円形の痕跡を残すとは限らず、円環の一部を痕跡として残すにとどまる場合もあるし、逆に、痕跡が楕円形であり、かつ四五度の角度で衝突したと推定されることから、器物が円筒形と推定されるとも限らない。斜めに当たってすぐ跳躍する場合には、器物の断面、斜断面の形状よりも、むしろその一連の動きの中の瞬間瞬間の接触面が、始めは狭く、次いで広くなり、やがてまたその離れるにつれて狭くなるという軌跡の痕跡となることもあるからである。なお、特異な形状の骨折であればともかく、円形や楕円形の骨折から、成傷器の形状を推定することはできない。

〈3〉 陥凹骨折を生成する鈍体の作用面の面積

木村鑑定書には、陥凹骨折(陥没骨折、穿孔骨折)は鈍体の作用面積が一六平方センチメートル以下の場合に生じ、それは頭蓋穹窿の比較的平面に近い部分でもその平らな部分の面積は一六平方センチメートル位だからであると説明されている。たしかに一般的にはそれが通説であり、特に穿孔骨折ではほとんど妥当するが、陥凹ないし陥没骨折では、実際にそれより広い作用面積を持つ器物によっても、これを生ずることがある。また、面積一六平方センチメートル以下の陥凹骨折ないし陥没骨折であることから、直ちにこれを成傷器の作用面の形状を印象した直接的骨折であるということはできない。

〈4〉 円みを帯びた石塊による損傷について

木村鑑定書には、「円みを帯びた石塊の作用面積が一六平方センチメートル以上のときは、同心円状の骨折と亀裂骨折と不規則な頭皮裂傷を生じ、作用面積一六平方センチメートル以下のときは、不規則な表皮剥脱や小挫傷を生ずる一方、頭蓋骨にはやや円形を呈するが辺縁不規則な陥凹骨折が形成される」旨が述べられている。これも、大体われわれの経験に合致する(但し、挫傷の形状は作用面の滑粗いかんにも関わる。)。しかし、同鑑定書添付の写真(〈証拠〉)からすると、円みのある石塊でも、楕円形に近い骨折を生ずる場合があることが明らかである。

〈5〉 打撃の方向等

陥凹骨折の最も凹んでいる部分であるmにi-n-j寄りの力、すなわち前ないし上方向の力が斜めに作用したものであることは、骨折の状況及び創壁の方向から明らかである。

エ 結論

木村鑑定書所掲の損傷所見による限り、同鑑定書には次のような問題点がある。

〈1〉 これを同鑑定書が想定しているような「先端鈍円あるいは鈍稜をなす突出部のある円筒形の鈍器」あるいは新型ガス筒、模擬筒によるとするには、皮膚面の挫裂創と頭蓋穹窿部骨折との位置的対応関係及び損傷の成因につきいささか無理な点がある。

〈2〉 衝撃力に関する判断にもなお検討の余地がある。

〈3〉 前記以外の器物による損傷の可能性についての考慮がほとんどされていないのは不備である。

〈4〉 同鑑定書に添付された写真によれば、石塊による損傷でも本件損傷に甚だ近似したものが見出される。

(四) 斎藤鑑定

〈証拠〉によれば、本件に関して千葉地方検察庁検察官から木村鑑定書の内容の当否等について鑑定を嘱託された斎藤銀次郎(東海大学教授)の見解は、次のとおりである。

ア 上部創の挫滅部が突出した物で強打され、これにより陥凹骨折の中心部が最も深く陥凹したことは容易に理解される。しかし、上部創の中央部に存する小裂創の長さは〇・四センチメートルであり、他方陥凹骨折の中心部はその上縁の下方一・〇センチメートルの所にあるので、上部創が陥凹骨折の上縁と連絡することは、たとえ創洞が下前方に向かっていたとしても、考え難い。むしろ、上部創は陥凹骨折の中心部を前後に走る弧状を呈する亀裂骨折(iの下方からmを経てr上方に至る骨折を指すか?)に合致して生じたものと考えるのが妥当であるように思われる。この亀裂骨折の弦の長さは三・五センチメートルで、上部創の長さ四・〇センチメートルと大差がなく、その形状もほぼ一致しているからである。おそらくこの亀裂骨折の部分に鈍稜が作用し、中心部が特に突出していたために陥凹が最も深かったものと考えられる。木村鑑定書にあるように、上部の骨折縁が頭皮に嵌入して上部創を形成するということは、陥凹骨折の場合には考え難い現象であるのみならず、骨折と頭皮損傷との位置関係が別紙五の図面の1のようなものであるとすれば、右骨折縁が上部創を作るためには表皮が前上方に伸びなければならないが、表皮の伸びは二、三ミリメートル程度であろうから、右のような機序による上部創の形成は考えられない。

イ 木村鑑定書では、陥凹骨折は外力の直接作用によって形成されることが多く、本件陥凹骨折は作用面がほぼ楕円形をなす鈍体の形態を印象づけるものであるとしている。しかし、攻撃面が一六平方センチメートル以下である場合の頭蓋骨骨折にも直接骨折、間接骨折の双方がありうるし、頭部の陥凹骨折の面積が一六平方センチメートル以下でも直接骨折の場合、間接骨折の場合の双方がありうるから、本件のような骨折は、外力の間接的作用によっても生じうる骨折であるといわなければならない。そうすると、成傷器が円筒状のものであるとは必ずしもいうことができない。

ウ 木村鑑定書は、陥凹骨折において陥凹の中心部と頭蓋穹窿面とのなす角度が四五度であることから、打撃の方向を頭蓋穹窿面に対して約四五度と推測したものと理解される。しかしながら、陥凹骨折の中心部は、作用した鈍器の重量、形状、作用力の強弱、突出部の突出の程度、性状などによって深い場合も浅い場合もあり、陥凹の角度によって打撃の方向を推定することはできないと考えられる。

エ 木村鑑定書は、成傷器は先端が鈍円又は鈍稜のものであるとするが、陥凹骨折の中心部の深さは一・五センチメートルもあるので、先端が鈍円のものでは、たとえ頭皮に直角に打撃したとしても、このように深く陥凹するとは考えられず、斜めに当たったとすれば一層疑問である。先端が鈍稜でしかも突出部のあるものによって生じたとする方が妥当性がある。また、表皮の創傷の形状も鈍円状の先端を有する物によって生じたとは考え難い。

オ 木村鑑定書は、下部創を、成傷器の曲面と下部骨折縁とに挟まれて生じた弧状をなす挫創とし、右骨折縁が直接骨折によって生じたものであるとの前提の下に、成傷器の直径を三・八センチメートル以下と計算しているが、下部の骨折が直接骨折でないとすれば、右計算は根拠を失う。また、右のような機序で下部創ができたとすれば、頭皮内面にも骨折縁に相当したなんらかの損傷が認められてもよいのではなかろうか。

カ もし木村鑑定書のいうように後下方から前上やや左方に向かって鈍力の打撃が加わったものとすれば、対側打撃により大脳の前端部及びその周辺に脳挫傷が多数あるべきものと考えられるが、本屍では主として大脳底部の右直回、右眼窩回、右側頭極、右外側後頭側頭回、右下側頭回及び右側小脳扁桃などに対側打撃によるものと思われる脳挫傷が認められるので、上方から下方へ向かって打撃が加えられたとした方が妥当性があり、上部創及び下部創の創洞がいずれも下前方に向かっていることから判断しても、鈍力が上やや後方から下やや前方に向かって作用したと考えるのが妥当である。

キ 木村鑑定書には、作用面が円形(平面)をなす円筒形の物体が斜めに作用した場合にはほぼ円形をなす骨折と線状骨折が形成され、本件のような形状の骨折にはならないと述べられているが、このような物体が斜めに作用した場合でも、攻撃面の辺縁の稜角部が強く作用すれば、突出部を有する鈍器の作用した場合と同じように楕円形の陥凹骨折が間接的にできるであろう。

ク 木村鑑定書のいうような方向からの打撃により下部創が生じたのであれば、実際の状況とは逆に、創縁の下ないし後側の表皮剥脱の方が上ないし前側のそれより幅が広くてしかるべきであると考える。また、下部創の成因については、陥凹骨折部の中心に鈍体の突出部が作用して深く陥入し、辺縁に間接的に楕円形の骨折が生じた際、皮膚も陥入し伸展されて陥凹骨折の下縁に一致して皮膚が裂けたかも知れず、創周辺の表皮剥脱は、その際たまたま鈍体がその部分を擦過したかも知れないと考えられる。また、下部創を形成するような稜角を有する鈍体が比較的軽く作用したのかも知れない。いずれにせよ下部創の成因を木村鑑定書のように断定することはできない。

ケ 木村鑑定書は、石塊の打撃による場合には、骨折の形状は本件に類似したものになる場合があるとしても、頭皮の損傷は本件のような骨折縁の形状と一致するものとはなり難く、不規則な挫裂創となる、と述べているが、本件の挫裂創は不規則で複雑なものということができ、挫裂創に相当する不規則な形の稜角を持ち、一部に突出部を有する石塊の打撃によって生じないとはいえないものと考えられる。また、同鑑定書は、作用面一六平方センチメートル以下の石塊の場合には、やや円形を呈するが辺縁の不規則な陥凹骨折が形成される旨を述べるが、そのような石塊の場合にも間接的骨折として本件のような楕円形の陥凹骨折が生ずる余地はある。

コ 総括

木村鑑定書の、本件陥凹骨折が鈍体の攻撃面を印象づける直接的骨折であるとの前提は首肯し難く、右骨折は間接的骨折とみるべきである。先端部が鈍円状を呈する円筒状の物であれば、頭皮表面に垂直の方向から打撃したとしても本件のような深い陥凹骨折を生じない。四五度の角度であれば、頭皮表面を滑走するので陥凹は一層浅くなる。また、先端部が鈍円状であれば、陥凹骨折の中心部に相当してできる挫裂創は、生じたとしても、ごく小規模のものになると考えられ、四五度の角度では発生自体余り考えられない。

本件損傷は、陥凹骨折の中心部に当たる所に突出部があって上部創とほぼ同形の稜角を有し、更に下部創に当たる所に同創とほぼ同形の稜角を有するような鈍体の打撃によるものと考えられるが、下部創の成因については、右のような稜角によるのではなく、突出部の打撃による陥凹で皮膚が伸展したことと鈍体の擦過によって生じたとも考えられる。また、打撃の方向は上やや後方から下やや前方と考えられる。

結局、木村鑑定書の成傷器の形状、打撃の方向に関する判断は、先端部に鈍稜をなす突出部を有する物という点以外はすべて肯定できない。

(五) 三上鑑定

〈証拠〉によれば、同人の見解は次のとおりである。

ア 頭皮の挫裂創

本件挫裂創は、精見すると上下創とも不規則な鋸歯状の凹凸があり、上部創にもh付近のほかその上(前)縁の中央部から後端にかけて幅〇・一ないし〇・二センチメートルの表皮剥脱があって、挫創の性状が多い。但し、上端(a-f、a-c)及び下端(b-d)は裂創である。

イ 頭皮の挫裂創と骨陥凹との関連

頭皮の挫裂創と陥凹骨折部とが位置的にやや符合しないのは、頭皮の移動性、収縮性等によるものと考えられ、挫裂創と陥凹骨折とは同一成傷器により同時に形成されたものとみてよい。

ウ 成傷の機序

頭部に小さい鈍体が強く作用すると、大概は成傷器の形状に類似した陥没又は陥凹骨折を惹起する。したがって、本件陥凹骨折は、表面が鈍稜状で、上下径約五・二センチメートル、左右径約三・五センチメートルの楕円形様の硬い鈍体が一回衝突したことによるもので、殊に上部骨折縁の部分を強く打撃したものと思われる。また、陥凹骨折の下方の開離骨折は鈍体がその部分に直接衝突したことによるものと見られるから、鈍体は上下に長い物であると推測される

エ 模擬筒の発射実験の結果

模擬筒をダンボール箱に向けて発射して実験したところ、斜め横の姿勢で貫通し、先端の当たった部分の損傷の方が深かった。

右実験においては、まず、固定した犬の頭部を狙って、模擬筒を二八発発射したところ、一〇メートルの距離から発射した一八発はすべて犬に命中せず、五メートルの距離から発射した一〇発のうち、三発のみが命中し、ほぼ上下に斜めの状態で当たった。当たらなかった模擬筒は目標から〇・五ないし一メートル位それた。次に二発を一〇メートルの距離でダンボール箱に向けて発射したところ、一発は横(わずかに頭部を前方に向ける。)の姿勢で貫通し、先端部分は深く、後端部分は末端に至るに従って次第に浅くなり、末端は浮き上がった状態の損傷が形成された。

オ 成傷器の特定

以上に述べたところや陥凹部の骨の傾きなどから見て、相当の重量のある鈍体が、前やや上方に向けて浅い角度で斜めに陥凹部の前上部分に強く衝突したものであると考えられ、先端部が環状の旧型ガス筒では本件創傷を形成することは無理であり、新型ガス筒の頭部を含む長軸の一部が斜めに衝突した公算が大きい。石塊の場合、本件のように頭皮の傷の形状と骨折の形状とが類似することは稀であり、もし石塊であれば細長くて円みを帯びたものであろう。また、錫谷鑑定のように成傷体が頭蓋骨の面に対して垂直に作用したとみるべき根拠はない。

7  本件に関する法医学的所見についての検討

以上に述べたように、亡薫の頭部の損傷がどのような機序によって生じたものであるかについて法医学の専門家の見解は分かれており、一方において基本原則とするものが、他方において全く否定し去られることさえ見受けられる。したがって、この問題は更に物理学的な見地等からの検討をも加えるべきであるが、ひとまずここで、以上に現れた資料に基づいて諸家の見解に対してそのいずれを採るべきかの検討を行うこととする。

(一) 頭皮創傷の発生機序について

〈証拠〉によれば、一般に頭部のような皮膚と骨との間に筋肉や脂肪組織等の軟部組織の少ない部分に鈍器が作用すると、当該部分が鈍器と骨との間に挟まれ、挫滅されて挫創が生ずること、このような挫創の創縁の周囲には表皮剥脱を伴うこと、これに対して、鈍器の作用により皮膚が著しく伸展されてその弾力性の限界を超え破綻したときに生ずる裂創では、創縁、創面は一見正鋭のように見えることが少なくなく、創縁の周囲に表皮剥脱を伴わない(但し、精細に見ると創縁は不整で、かつ僅かながら表皮剥脱を伴うことが多い。)こと、裂創は一般に皮膚を伸展する力の方向に直角の方向に生ずること、しかし、挫創と裂創とは合併して生ずることが多く、両者は分別され難いことが多いので、挫裂創という名称で両者を区別せずに呼称することも多いことが認められる。

亡薫の頭皮に生じた創傷のうち、表皮剥脱を伴っているh付近の挫裂創及び下部創の部分に直接成傷器が作用したことについては、諸家のほぼ一致して認めるところであり、これを肯定することに問題はない(これに反対する斎藤鑑定中の下部創の成因に関する部分が採用し難いことは後記のとおりである。)。

ア まず、下部創の発生機序について検討する。

〈1〉 木村鑑定は、成傷器の突出した先端が後下方からh付近に衝突して頭皮に嵌入し、陥凹骨折を生じ、次いで成傷器の曲面と下部の骨折縁とに挟まれて下部創が形成されたとする。下部創の形状、方向と下部の骨折縁の形状、方向が合致すること、前記のとおり下部創の部分に直接成傷器が作用していることは、この説明を裏付ける有力な事実である。

〈2〉 錫谷鑑定も、下部創がその全長にわたって表皮剥脱を伴っていること及びそれが境界明瞭な円弧状の挫創であることを根拠に、直接骨折による骨折縁と成傷器に挟まれて形成されたものであるとする。

〈3〉 松倉意見は、木村鑑定(錫谷鑑定も同様)に対する批判として、成傷器の曲面と骨折縁とでは、一方が曲面であるため、その間に挟まれても加圧力が均等でなく、また、他方が骨折によりその支持状態が安定していないことからして、下部創のような創傷を作るような挟圧が加わるとは考え難い、とする。しかし、骨折が成傷器が直接に作用し、嵌入したことによる直接骨折であるとすれば、その骨折縁と成傷器の嵌入部分の縁とは近似する曲線を形成するはずであるから、たとえ頭皮ないし頭蓋骨の本来有する面と成傷器の曲面とが合致しなくても、骨折縁と成傷器の曲面とが合致することはむしろ当然とみることができ、したがって、両者の間に挟まれた部分の頭皮にほぼ均等な圧力がかかることに格別の支障はないものと考えられる。また、頭皮に対する圧力は骨折後に加わるもののみではない上、下部の骨折は外板のみにとどまっており、しかも、仮に陥凹側の骨折縁が十分な支持力を有しないとしても、非陥凹側の骨折縁は、骨折によってさして支持力が減退するとは考え難い。したがって、右の点は、木村鑑定に対する有効な批判とはなりえないと思われる。また、松倉意見は、下部創の前(上)創壁が鋭角を、後(下)創壁が鈍角をなし、かつ、頭皮を貫通していないことが、木村鑑定による同創の成因からは理解し難いという。創璧の方向と外力の方向との間にどのような関係を認めるべきかは後に論ずることとするが、仮に両者が一致すべきものであるとすれば、骨と成傷器との挟圧による創傷において、木村鑑定にあるように、その一方である成傷器が斜めに作用している場合には、創傷の創壁にそのような方向性が認められても格別異とするに足りないと思われる。下部創が頭皮を貫通していないことが木村鑑定における創傷の成因とどのような点で矛盾するのかは、松倉意見自体において明らかにされていないので、この点については特に検討を加えるまでもない(それが当該部分の頭皮の内側に骨折縁による損傷が存しないことを指摘する趣旨であるならば、その点については次の斎藤鑑定に対する検討において触れる。)。

松倉意見は、下部創の成因として、骨折縁との結び付きを否定し、むしろ下部創に相当するような成傷器の隆起部分又は角稜の存在を想定する。この見解は、下部創と下部骨折縁との形状、方向における近似性を、成傷器の特異な形状に由来する偶発的なものとみるのであるが、そのように偶発的事情を説明の根拠とすること自体の妥当性が問題として残ることになる。

〈4〉 斎藤鑑定は、下部の骨折縁はむしろ間接骨折として形成されたものとみるべきであり、下部創は、陥凹骨折に伴い、伸展された頭皮が陥凹骨折の下縁に一致して裂け、創周辺の表皮剥脱は、その際たまたま鈍体がその部分を擦過したことによるのかも知れず、あるいは、下部創を形成するような稜角を有する鈍体が軽く作用したのかも知れない、とする。しかし、下部骨折縁が直接骨折であることを否定し、これを間接骨折とみるべき根拠が必ずしも明らかでないのみならず、この前者の仮説は、下部創の部分の頭皮の内側に損傷がないことを説明するに適しているが、骨折縁に一致して頭皮が裂け、ちょうどそこを鈍体が擦過して創縁に沿った表皮剥脱を生じさせるという可能性の低い偶然を主張するものであり、到底採用することができない。後者の仮説は、松倉意見と同趣旨のものである。

〈5〉 三上鑑定は、下部創の成因について明確に述べないが、頭皮の損傷と陥凹骨折との形状の上での類似性を重視しているところからみると、ほぼ木村鑑定と同様の見解に立つものと推測される。

イ 次に上部創については、そのうちh付近の挫裂傷以外の部分は、表皮剥脱を伴わない単なる裂創とみるのが大方の意見であり、右は皮膚が過度に伸展されることによって生ずるものであるから、成傷器が直接この部分に作用したかどうかは明らかでない。

〈1〉 木村鑑定は、右創傷が形成されたのは、挫裂創ないし裂創と、上部の陥凹骨折縁(非陥凹側)の内側からの頭皮への嵌入による刺創との競合によるものであるとするので、右見解の当否について判断する。

右骨折縁は刃のように尖っており、また、頭皮の内側まで通じている上部創は、斜めに前上方に向かう創壁を有し、その内側の創口は広がっているから、上部創のみを考える限り、当該部分の頭皮に対して後方ないし後下方から強い打撃が加わり、陥凹骨折が生ずると同時にその骨折縁に頭皮が押し付けられたと仮定すれば、右のような機序で右創傷が発生したとの説明は可能であると思われる。また、上部の骨折縁と上部創との間に見られる形状、方向の類似性は、右説明を裏付ける有力な事実といえる(なお、前掲木村証言(第二回)中には、解剖の際骨折縁の一部が内側から上部創の中に嵌入しているのを認めた旨の供述があるが、木村鑑定書にはそのような事実の記述はなく、第一回証言では右嵌入を現認してはいない旨述べていることからすると、右供述に係る事実をにわかに肯認することはできない。)。

しかし、木村鑑定は、頭皮の創傷と陥凹骨折との位置関係を別紙五の図面1に近いものとするのであり、そうだとすると、n-oは三・五センチメートル、g-hは一・八センチメートルであるから、下部創が、後述のとおり頭皮の厚さを考慮して、陥凹骨折の下縁より数ミリメートル内側(前側)に位置するものと考え、かつ、上部創は全体としてはhよりやや前(上)方にあることを考慮しても、上部創と上部の骨折縁との間には一センチメートル程度の距離があることになる。成傷器の作用で上部創部分の頭皮が多少移動するとしても、これに伴って下部の骨折縁に当たる部分の頭皮も移動することになるから、頭皮の移動は上部創・下部創間の間隔が前記のように上部・下部の各骨折縁の間隔に比べて狭いことの合理的な説明にならず、また上部創と下部創との間隔自体わずかなのであるから、その部分での頭皮の伸びもこの点についての十分な説明にならないと思われる。結局、打撃によって頭皮が伸展され、下部の挫裂創が生じ、その創口が一時的に一センチメートル程度離開した(その後収縮したが)ことによりその分だけ両創間の頭皮が伸びたのと同様な効果が生じたということ以外には右の点に対する説明を見出せないが(上部創の創壁が前(上)方に向かっているということも、動きうるのは頭皮の方であって骨折縁の方ではないことを考えれば、右の点の説明を容易にするものではない。)、これが右一センチメートル程度の距離の差を説明するに足りるものといえるかどうか、疑問が残る。その上、そのような機序で上部創ができたのであれば、それは後記の下部創の成因とは全く性質を異にすることになるが、そのように互いに成因を異にする二つの創傷が、浅い裂傷によるとはいえ上下で連絡して全体として紡錘形を形成しているのは何故かという疑問も生ずる。

〈2〉 錫谷鑑定は、半球状の成傷器の先端がまずhに衝突してそこに挫傷と表皮剥脱を生じさせ、引き続き成傷器が頭部に嵌入するにつれて頭皮が伸展された結果hの上下に裂創が伸びていったものが上部創であると説明する。この見解は、上部創の形成機序の説明として巧妙であり、また、上部創、下部創のいずれもが成傷器の同一作用部の直接の作用によって形成されたとするので、両創が前記のように互いに連絡して紡錘形を形成している点を説明し易い。そしてhが陥凹骨折の中心部に相当するとした場合における下部創と下部骨折縁との位置の差異は、前者が成傷器の直接の作用によるものであるのに対して、後者は厚さ〇・五ないし〇・八センチメートルの頭皮を被った成傷器の作用によるものであることに由来するとみることによって、説明が可能となる。また、上部創が頭皮の内側まで貫通している点について、同鑑定人は、右は成傷器又は骨折縁の作用によるものではなく、血腫がもたらしたものであるとするが、そのようにみるべき根拠を明らかにしていない。しかし、いずれにしても、この点は上部創の成因に関する錫谷鑑定の基本的判断の障害となるものではない。

錫谷鑑定によった場合、下部骨折縁が下部創を形成しているのに対して上部骨折縁に対応する創傷が存しないことになる。この点につき、同鑑定は、m付近でまず骨の離断が生じたため、それより前方の骨が深部に向かって圧迫されて外板が剥離する程湾曲し、鈍円な骨折縁が形成されたためであると説明する。この説明の当否については判断の材料が乏しいが、前記のとおり、上部骨折縁に半ば剥離した小骨片が付着し、また、亡薫の頭蓋骨の厚さはm付近では〇・二センチメートル前後しかなく、上部骨折縁の付近でもこれと大差がなかったであろうと考えられることからすると、必ずしも首肯できないものではないといえよう。

〈3〉 松倉意見は、上部創の成因に関する木村鑑定は、上部創と上部骨折縁との位置関係が矛盾すること、成傷器の先端の突隆部が衝突した部分を含めてその上下に発生した挫裂創として上部創を考えてみても、成傷器が内部、内腔まで穿通していないのに長さ四センチメートルにもわたる上部創がそのようにして形成されるとは考え難いこと、上部創の創壁の角度から見ても、同創は下部創と同様に、角稜部分によって形成されたとみるのが自然であること、上部創が鈍体の突隆した曲面と骨折縁との挟圧によるとも考えられないことは下部創の成因に関する木村鑑定を首肯し難いのと同様であることからいって、上部創と上部骨折縁とは別個の隆起部分又は角稜によって形成されたとみるのが相当であるとする。

このうち、上部創の長さと成傷器の嵌入の深さとの関係に関する部分が首肯し難いことは、錫谷鑑定におけるこの点の分析によって明らかであるといえよう。その余の点については、下部創の成因に関する松倉意見について述べたところと同様である。

〈4〉 斎藤鑑定は、上部創は、陥凹骨折の中心部を前後に走る弧状をなす亀裂骨折に合致して生じたとする。右の弧状をなす亀裂骨折とは、前示のようにiの下方からmを経てrの上方に至る骨折を意味するものと思われるが、mから放射状に走る六本の線状骨折の中で右骨折が特に顕著であるというわけでもなく、また、その形状も上部創の形状に酷似するという程でもないから、直ちにこれを上部創と結び付け、共に鈍稜の直接の作用によるものと推定することには疑問があり、右見解はにわかに採用し難い。

〈5〉 三上鑑定は、上部創の成因について、木村鑑定を肯定してよいとする。

ウ 以上見たところからすると、下部創は下部骨折縁と成傷器との間に頭皮が挟圧されて生じた挫創と認めるのが妥当である。これに対して上部創の発生機序はやや明確ではない。木村鑑定のようにその主要な成因を上部骨折縁の内側からの嵌入に求めることは骨折縁との距離関係からいってやや無理であり、また、錫谷鑑定のようにこれを半球状の物体の嵌入による裂創と見るのは有力な説明であるが、上部の骨折縁と創傷との関係の説明は異論を全く許さないまでに完全であるとはいえない。これを角稜によって生じたものとする松倉意見については、同創がh付近以外では顕著な表皮剥脱を伴っていない点や、上下の各創がその両端で連絡し合っているという事実をも偶発的な成傷器の形状に基づくものとして説明するのは不自然ではないかという点に疑問が残る(もっとも、成傷器が石塊であるにしては擦過傷が見られないという指摘については、受傷当時受傷部位が頭髪で覆われていたためであるという説明が可能であるかも知れない。)。結局、上部創は、それが下部創と連絡していることやhがf及びbからほぼ等距離の所に位置していること、傷の長さや骨の陥凹の深さとの適合性から見て、錫谷鑑定にあるような機序によって生じた可能性が最も高いが、前記のように上部創にも若干の表皮剥脱が認められ、挫創と裂創との区別は必ずしも明確なものではないことからすると、松倉意見、斎藤鑑定にあるように鈍稜の作用によって生じた可能性も全く否定することはできないというべきであろう。

(二) 頭蓋骨骨折の発生機序について

ア 陥凹骨折

本件陥凹骨折の発生機序については、それが直接骨折、すなわち外力の直接的な作用によって生じたものであるかどうかについて争いがある。すなわち、木村鑑定は、一般に頭蓋骨における四センチメートル平方以下の陥凹又は陥没骨折は直接骨折であるとされるとの理由により、これを直接骨折と見るのに対し、松倉意見は、四センチメートル平方以下の陥凹骨折又は陥没骨折が直接骨折であることがあるとはいえても、右のような規模の骨折であることから逆にこれを直接骨折と推定することはできないとする。

〈証拠〉には、「玄翁などで頭部を殴打した場合、その作用面が一六平方センチメートル以下で、殴る力がある程度以上だと、そこに陥没-穿孔骨折ができ、凶器の形をそのまま彷彿と見ることができる。殴る力が弱いか、凶器の作用面が大きくなると陥没はそう限局せず、凶器の形を想像することは難しくなる。」との記載がある。右叙述の趣旨が、作用面の面積及び作用する力の点で右のような条件が充たされた場合、常に、あるいは通常直接骨折を生ずるとするものか、それとも直接骨折を生ずる場合があるというにすぎないのかについては、文言の上からいえば、前者のように解するのが自然である。しかし、錫谷鑑定は必ずしも右前者のような見解を採らず、円弧状の骨折は成傷器の形状と合致しない場合も多いとして、単に陥凹骨折であることから直接骨折であるとは断定せず、斎藤鑑定も、陥凹骨折は間接骨折としても生じうるとする。他方、三上鑑定は、頭部に小さい鈍体が強く作用した場合にはおおむね成傷器類似の陥凹骨折を生ずるとして、木村鑑定に賛成する。

以上を総合して考えると、本件陥凹骨折の少なくとも一部が直接骨折である可能性はかなり高いが、陥凹骨折であることから直ちに直接骨折であると断定することにはやや無理があり、直接骨折であるかどうかは、頭皮の損傷との関係等をも総合勘案して判定すべきものというべきである。

下部骨折縁と下部創とが形状、方向、位置においてほぼ一致すること、下部創が表皮剥脱を伴い成傷器の直接的な作用によるものと考えられることからすると、下部骨折縁のうち下部創とほぼ一致するk-o-qは、直接骨折と見るのが相当である。これに対して、上部骨折縁については、直接骨折であるか間接骨折であるかをにわかに判定することができない。

イ 陥凹骨折以外の骨折

陥凹骨折からその上下に延びる線状骨折について、錫谷鑑定は、それが陥凹骨折を挟んでほぼ一直線をなすこと及びその長さから見て、頭蓋骨が外力により扁平化したことによる破裂骨折であるという。また、右線状骨折の下側のものについて、三上鑑定は、その離開の状況から見て、成傷器の直接の作用によって生じたものであるという。これら見解に対しては、他からこれを肯定する意見も否定する意見も述べられておらず、また、格別の根拠づけがされているわけでもないので、その当否を考える資料が不足しているといわざるを得ない。ここでは、単に、これら線状骨折の存在を、頭蓋骨に作用した外力がかなり強力なものであったこと、成傷器が陥凹骨折の下方にも作用した可能性があることを物語るものとして把握するにとどめるのが無難であろう。

(三) 成傷器の形状について

以下においては、亡薫の頭部の損傷を生じさせた物体の形状、大きさについて検討する。

ア 木村鑑定は、m、nの付近で陥凹が最も深いこと、陥凹骨折の形状、前記のように直接骨折と認められる下部骨折縁が打撃の中心と見られるmをほぼ中心とする弧を描いていること、上部創、下部創以外に頭皮の損傷がないことなどから、成傷器は、先端が突出して鈍円又は鈍稜をなし、周囲が円筒状の表面平滑な物体であると推測し、その直径は約三・八センチメートル又はそれ以下(少なくとも三・〇センチメートル以上)である、具体的には、新型ガス筒及び模擬筒は成傷器としての適合性を有し、石塊である可能性は少ないが、馬鈴薯のメイ・クイーン種のような形状のものなら可能性はある、とする。右は基本的には錫谷鑑定の成傷器に関する見解と類似するものであり、成傷器の直径に関する計算は同鑑定においてより厳格・詳細にされている。

イ 錫谷鑑定は、h付近の挫創を成傷器の先端の衝突によって生じたものとみ、a-h、h-bの創縁の長さがほぼ等しいところから見て成傷器は先端からの両側面が対称的な形態のものであること、右hを含む裂創としての上部創の発生は、成傷器の運動につれてその先進先端から離れた縁辺部においてまで運動方向に直交する力が作用したことによるもので、成傷器が前進嵌入するにつれて嵌入部分の径が漸次大きくなったことを意味していること、下部創の形状及びその下部骨折縁との対応状況、上下の各骨折縁の距離と陥凹骨折の深さとの関係から推定される成傷器の球面の直径、頭皮の剥脱の発生状況などから、成傷器は作用部の表面が平滑で半球状の硬鈍体であるとし、その直径は二・七ないし三・五センチメートルである、具体的には、新型ガス筒及び模擬筒は成傷器としての適合性を有し、石塊でも一応可能性はあるが、そのような石塊が存在する可能性は低い、とする。この見解は、頭皮及び骨の各損傷の特徴、相互関係並びにこれらに対するガス筒の適合性を詳細かつ総合的に考察し、数値的な裏付けをも行っており、相当高度の合理性を持つものと評価することができる。但し、下部創、下部骨折縁及び上部創の成因が比較的明確に説明できるのに対し、上部骨折縁の成因の説明は、上部骨折縁の外板の剥離等に基づく推測によっており、この推測に大きな弱点はないものの、その当否について若干の留保を付する余地もないとはいえない。

ウ 松倉意見は、本件の頭皮(及び頭蓋骨)の損傷にそれぞれ対応するような隆起部分又は角稜を有するものであれば、(衝撃力の面からの検討を別にすれば)石塊も成傷器としての適合性を有するとし、石塊が成傷器であれば頭皮に本件の場合より不規則な傷が生ずるはずであるとは必ずしもいえず、直接打撃が作用したとみられるmに相当する頭皮に表皮剥脱がないとしても、たまたま成傷器のその部分が平滑であったということもありうるから、石塊が成傷器である可能性が否定されるものではない、と論ずる。しかし、同意見も、頭皮の挫裂創の形状、大小、配列は当該鈍器の表面の凹凸等に左右されるものであることを認めているところ、同意見が想定するように上下の頭皮の損傷(及び骨折縁)にそれぞれ別々に対応するような複雑な凹凸を有する成傷器としては砕石を想定するのが自然であるが、砕石であるとすれば、その表面は一般的に粗であり、その隆起部分は平滑でないのが通常であるから、同意見が想定するような成傷器は実際には余り存在しないのではないかとの疑問を禁じ得ない。また、より基本的には、同意見によれば、木村鑑定のように上部と下部の各創傷及び骨折縁相互間の距離の差について格別の説明を加えることを要しない代わりに、下部創と下部骨折縁との間に見られる形状、方向等の類似性に格別の意味を認めず、右類似性及び頭皮の創傷それ自体の性状をすべて成傷器の偶発的な形状に由来するものとして説明することになるのであって、上部創が成傷器の突出部分によって生じたとする点はともかく(これについては、次の斎藤鑑定の検討において触れる。)、少なくとも下部創と下部の骨折縁との関係に関しては十分な説得力を有するものとはいい難い。

エ 斎藤鑑定は、本件陥凹骨折の中心部の深さが一・五センチメートルもあること及び頭皮の創傷の形状からいって、成傷器は先端が鈍円の物体とは考えられず、先端が鈍稜でしかも突出部のある物と考えるのが妥当であり、上部創及び下部創とほぼ対応する形状の稜角を有するような鈍体(但し、下部創については必ずしも角稜の作用によるとは限らない。)であれば、石塊も成傷器たりうる、とする。しかし、本件のような深さの頭蓋骨の陥凹が鈍円状の先端を有する物体の衝突によっても起こりうることは、錫谷鑑定によって明らかにされているといえる。また、上部創が成傷器の突出部とこれに連なる鈍稜とによって形成された可能性が全くないとはいえないとは思われるが、それがh付近以外では顕著な表皮剥脱を伴わないところからするとやや疑問がある。

オ 三上鑑定は、本件陥凹骨折が成傷器の形状に類似したものであるとの前提に立ち、かつ、陥凹骨折の外のjから延びる線状骨折を成傷器が直接に作用したことによるものと見て、頭皮の創傷の形状等も考慮した上、成傷器を鈍稜状の先端を有する細長い物体と推定し、このことと、一般に石塊の衝突では、本件のように頭皮の損傷の形状と骨折の形状とが合致することは稀であるとの理由により、新型ガス筒が成傷器である可能性が高く、仮に石塊が成傷器であるとすれば、細長くて円みを帯びたものであろう、とする。その当否については、既に他の見解について論じたところによって明らかであるから、再説しない。

カ 検討結果

以上、諸家の意見について検討したところを総合して考えると、本件成傷器は、表面が平滑で直径二・七ないし三・五センチメートルのほぼ半球状の先端部を有する物体である可能性が最も高く、作用面の一部に突出部とこれに連なる鈍稜を有すると共に他の部分では右のような球面の一部に似た形状を有する物体である可能性も若干はある。したがって、新型ガス筒および模擬筒は顕著に成傷器としての適合性を備えた物体であり、右のような形状の作用面を有するやや円みを帯びた石塊も成傷器である可能性がある。

(四) 外力の加わった方向について

以下において外力の加わった方向について検討するが、ここで前後、上下、左右という場合には、特に断らない限り、亡薫の頭部を基準としての前後、上下、左右を論ずるのであり、受傷時に頭部そのものに回転や傾きがあったとすれば、外力そのものの方向は、右回転や傾きに応じて修正して考えなければならなくなる。

ア 木村鑑定は、外力が加えられた方向を、右後下方からであるとし、上下部創の創壁の方向及び頭蓋骨の陥凹が前方m、n付近で最も深いこと、下部創の創縁の両側にある表皮剥脱の幅が前(上)創縁側で後(下)創縁側より広いことをその根拠として挙げる。本件の場合、頭蓋骨の陥凹の深さの点は各部分の骨の厚さとも関係づけて考察する必要がある。また、創壁の方向が外力の作用方向を判断する根拠となりうるかどうかについては見解が分かれ、木村鑑定、松倉意見、斎藤鑑定はこれについて肯定的であるのに対し、錫谷鑑定は否定的であるが、具体的な論拠としては、錫谷鑑定中で若干の考察がされているにとどまる。下部創の創縁の両側にある表皮剥脱の幅の広狭が後下方からの外力の作用を示すものであることについては、斎藤鑑定は否定的であり、いずれの見解が正しいかを判断する資料がない。

次に、木村鑑定のうち外力の加えられた方向を頭蓋穹窿面に対して四五度とする点は、同鑑定自体においてもその根拠の説明が前後一貫せず、かつ、その内容も首肯するに足りるものではないから、採用し難い。

イ 錫谷鑑定は〈証拠〉の鑑定書では、陥凹骨折の上下に延びる線状骨折が破裂骨折であることを前提として、一般に破裂骨折の場合骨はその伸展方向に直交して離断するものであるから、外力は右線状骨折を結ぶ線上の骨表面に対して垂直又はこれに近い角度で(すなわち、後やや上方から前やや下方へ)作用したものと考えられる、とする。しかし、頭蓋骨の表面に対して垂直な外力は右表面が形成する平面において特別な方向性をもたない-すなわち平面上のすべての方向について同等である-から、他の条件が同等である限り、あらゆる方向の線状骨折と同等に結び付きうるはずであり、これを本件陥凹骨折の上下に延びる線状骨折と結び付ける論理を見出すことはできず、右見解は採用できない。もっとも、前掲の同証人の証言では、この点につき、やや明確ではないが、頭蓋骨を扁平化し破裂骨折を起こすような大きな衝撃が加わるのは成傷器が頭蓋骨の表面に対してほぼ垂直に作用した場合に限るという説明もされており、その趣旨であれば、左脳中心前回に対側打撃によるとも見える挫創があることと相まって、かなりの説得力をもつ説明ということができる。しかし、本件受傷について何を対側打撃とみるべきかについて諸家の見解は一致していないし、また、破裂骨折を起こすような打撃の角度はどの程度まで垂直方向に近いことを必要とするのかも明らかではない。その上、前記のように皮膚の伸展による離断(裂創)が伸展方向に直交する方向に生じやすいと考えられることからすると、外力は、頭表面に対して斜めに、かつ、裂創である上部創に直交するような方向(すなわち後下方又は前上方)から作用したものとする見解にも相当の根拠があるものというべきであろう(錫谷鑑定自体にも、上部創は成傷器の作用方向と直交する方向に形成されたとする記述があることは前記のとおりである。)。

ウ 松倉意見は、前記のとおり打撃力が創壁の方向、すなわち後下方から作用したことを肯定する。

エ 斎藤鑑定は、創壁(創洞)の方向及び大脳底部の右直回、右眼窩回、右側頭極、右外側後頭側頭回、右下側頭回、右側小脳扁桃等に存する脳挫傷を対側打撃によるものとみるところから、外力の作用の方向は上やや後方から下やや前方へ向かうものであるとする。しかし、頭皮の創壁の方向は、同鑑定にあるように下前方ではなく、上ないし前方であるから、右推論はその前提に誤りがあり、前記脳挫傷を対側打撃によるものとみた場合には、創壁から推定される外力の方向と対側打撃から推定される外力の方向とが合致しないことになる。したがって、脳底部に存する脳挫創は、木村鑑定にあるように、外力が斜めに作用したことによる頭蓋腔内での脳の回転から生じたものとみるのが妥当であろう。

オ 三上鑑定は、陥凹部の骨の傾きなどから見て、打撃の方向は後下方からであるとする。

カ 〈証拠〉によれば、本件に対する付審判請求事件について東京高等裁判所に提出された江守一郎(成蹊大学教授)の鑑定は、亡薫の陥凹骨折部が前上方でより深く陥没しているが、アクリル板の模型で実験したところによると、物体の衝突方向の裂け目の入っている部分がより深く陥没するから、成傷器は頭部の右斜め後下方から左斜め前上方に向かって衝突したものであるとする。

キ 検討結果

以上検討したとおり、外力の作用方向については、木村鑑定に代表されるように右斜め後下方からであるとする見解と、錫谷鑑定のように右斜め後やや上方から(受傷部位の頭蓋骨表面に対してほぼ垂直)であるとする見解とが対立し、そのいずれを採るべきかを容易に判定できない。意見の数の上からいえば前説が有力であるが、その根拠のうち、頭蓋骨の陥凹がm、n付近で特に深い点は、錫谷鑑定が指摘するように亡薫の頭蓋骨がこの部分で特に薄いことを考慮すると、打撃の方向を判断する決め手にはなり難いと思われる。しかし、上下の各創の創壁の方向が大体一致していることや上部創の走っている方向に加えて、〈証拠〉によれば、いわゆる対側打撃の成因についてはいくつかの説があり、亡薫に見られる脳挫傷のうちいずれを対側打撃とみるべきかについても前記のとおり見解が分かれ、この点から打撃の作用方向を決定することも困難である上、錫谷鑑定が対側打撃であるとする大脳左中心前回の挫傷の厳密な位置が証拠上明白でなく、その位置いかんによっては水平又はやや下方からの打撃を裏付けるものとされる可能性もあることをも併せて考えると、若干疑問はあるが、前説のいうような作用方向である可能性が大であると考えるべきであろう。もっとも、かなりの深さの陥凹骨折を生じている事実からすれば、斜めとはいえ、頭蓋骨表面に対してかなり大きな角度をもって衝突したものとみるべきである。

以上は亡薫の頭蓋骨に対する関係での打撃の加わった方向を検討したものであり、したがって、更に受傷時の亡薫の頭の向きを確定しないと成傷器の飛来した方角を決定することができない。受傷時の亡薫の頭部の向きを具体的に確定することはできないことは既に述べたが、ここでは、成傷器の特定にも関係するので、亡薫の頭部の上下方向の軸(以下「軸」という。)の傾きの点について更に検討を加える。前記のように打撃の方向が斜め下方からであることから、木村鑑定は、受傷が投石によるものであるとすれば、下手投げで投げた場合にだけその可能性があると論ずるが、打撃の方向が下方からであるとしても、受傷の際軸が前方あるいは左方に傾いていたとすれば、成傷器は水平方向又は斜め上方から飛来した可能性がある。むしろ、下手投げは日常物を遠くに投げる場合にはほとんど用いられることのない特異な投げ方であるし、ガス筒の発射にせよ下手投げによる投石にせよ、軸の傾きのない頭部に下方からの打撃であると判断されるような明白な方向性をもった傷を負わせるには、五・六メートルかそれ以下の至近距離から、しかも極めて低い位置からこれを行う必要があると考えられ、これは、前記のような本件事件発生当時の現場の状況からすればまずありえない事態である(もっとも、ガス筒の場合には、後記のように弾軸運動によって飛翔中弾頭が揺れるが、後掲磯部鑑定に照らすと、右揺れにより生ずる弾頭回転の運動の速度は、飛翔速度に比べて遥かに小さいと認められるから、外力の作用方向を考えるにあたってこれを考慮する必要はないと思われる。)。受傷時において亡薫の頭部の軸がどのようであったかを直接かつ具体的に認定する証拠はないが、右のような点を考えると、むしろ亡薫の頭部を基準にして見た打撃の方向が前記のようなものであることから、受傷時には軸の傾きがあり、亡薫はややうつむいた状態か、やや左に頭を傾けた状態でほぼ水平方向又は斜め上方からの打撃を受けたと推測すべきものと考えられる。

以上の次第であるから、打撃の方向が頭部に対して下方からであることから成傷器の種類を推測することはできない。

(五) 総括

ここで、以上の法医学的所見の検討の結果を総括すると、次のとおりである。

下部創は、下部骨折縁と成傷器との間に頭皮が挟圧されて生じた挫裂創(主として挫創)であり、上部創については、そのうちh部分の挫傷が成傷器の先端部分の衝突により生じたことは明らかであるのに対し、その余の部分の成因はやや明確ではないが、半球状の成傷器の先端部分の嵌入に伴って裂創を生じた可能性が最も高く、鈍稜の作用による挫裂創である可能性も若干はあると考えられる。陥凹骨折部については、下部骨折縁の主要部分は成傷器が直接作用したことによって形成されたもので、その嵌入部分の縁の形状をほぼ示すものと考えられ、上部骨折縁は、直接・間接骨折のいずれかにわかに断定し難く、少なくとも成傷器の形状を印象するものではないと考えられる。

成傷器の形状は、作用面の少なくとも一部が平滑な半球状をなす物体で、新型ガス筒、模擬筒又は円みを帯びて細長い石塊などがこれに該当する形状を有する。外力の作用方向は、亡薫の頭部を基準にすれば後下方(又は後やや上方)からであるが、前示の事情を考慮すると、成傷器の飛来の向きとしては、ほぼ水平かやや斜め上方からと考えるべきであろう。

8  新型ガス筒(模擬筒)及び石塊の成傷器としての物理的性状

以上のような法医学的な見地からの検討の結果を前提として、本件の成傷器として控訴人の主張する新型ガス筒ないしこれに形状の類似する模擬筒と被控訴人の主張する石塊とのそれぞれについて、成傷器としての適合性が認められるかを物理学的見地から検討する。

(一) 新型ガス筒(模擬筒)の飛翔態様、飛翔距離、速度等

ア 磯部鑑定

〈証拠〉によれば、亡薫の死亡に関する付審判事件について千葉地方裁判所から鑑定を求められた磯部孝(中部工業大学教授)は、新型ガス筒をガス銃によって発射した場合及び人に石塊を投てきさせた場合のその速度、到達距離、衝撃加速度等を測定、計算したが、その主要な点は次のようなものであることが認められる(なお、〈証拠〉によれば、科学警察研究所の技官である久保田雅、上山勝が行った新型ガス筒の飛翔態様、飛翔距離に関する実験-この実験は磯部孝の前記実験と共同で行われたものであり、実験の方法も同様である-の結果も、磯部鑑定の結果と大差がない。)。

A 新型ガス筒

〈1〉 初速

初速は毎秒八二ないし九四メートルである。なお、以下の実験においては飛翔部分の重量約九二ないし九六グラムのもの(M三〇-P、M三〇-S型)が使用された。

〈2〉 飛翔態様

新型ガス筒は、旋転弾ではない上、発射の際に衝撃力を与えられるため、飛翔中絶えず弾頭を前方に向けるということはない。発射地点から五ないし二〇メートルの所に一メートルごとに立てた木の枠に貼り付けた六〇センチメートル平方のろ紙の的(以下「紙的」という。)にガス筒を順次通過させて実験したところでは、銃口を出た直後に弾軸を傾け始め、一〇メートルに達しないうちに離軸角(運動方向と中心軸のなす角)は九〇度に達し、以後それは四五度から一四〇度までの範囲を変動する。一〇〇メートル以上の距離を飛翔させてその状態をカメラで撮影しても、同様な激しい弾軸の運動が観測され、弾軸が真横を向くような姿勢が安定な状態と思われる。したがって、弾頭を真っすぐ前にして対象物に当たることは、ないか、あっても稀である。

〈3〉 射角ごとの飛翔距離、到達点における速度、運動エネルギー、衝撃加速度

次の表のとおりである。なお、(最大)衝撃加速度は、運動する物体が他の物体に衝突し、その速度に変化が生ずる場合について、その単位時間当たりの速度の変化の値(最大値)を見るものであるが、力Fを縦軸に、接触時間tを横軸にとった場合の衝撃波型は三角形に近似し、したがって、加速度F/M(Fは力、Mは運動物体の質量)を縦軸にとった場合の衝撃波型も三角形に近似するところ、この三角形の面積は時間t中の速度変化の総体、すなわち衝突前の物体の速度vと両物体が離れる時の速度vf(反発するときは負)との差に等しい。本件の場合vfはvに比べて小さいと考えられるのでこれを省略すると、最大衝撃加速度はv/tの二倍に近似することになる(これは後掲佐藤意見中のV-Vf=1/2・GTと同じことを意味している。)。接触時間については、川瀬幹雄の研究(後掲)によれば、頭蓋骨に落体を衝突させて骨の破壊を生ずる場合の接触時間は二ないし一〇ミリ秒とされているので、これを長めに一律に一〇ミリ秒として衝撃加速度を計算した。

新型ガス筒の場合、前記のような弾軸運動のため、斜めに傾いた状態で対象表面に衝突するのが普通である。この結果、まず先端部が衝突し、次いで側面が衝突するが、離軸角の大小によって二度の衝突のいずれの衝撃加速度がより大きいかが決まり、最大衝撃加速度は一度の衝突の場合の二分の一となる。〈表 省略〉

〈4〉 射角三〇度の場合の飛翔距離(水平面上)ごとの速度、運動エネルギー、衝撃加速度は次の表のとおりである。〈表 省略〉

なお、磯部鑑定では、以上の表に掲げた以外にも、新型ガス筒につき発射の角度及びガス筒が対象物の表面に当たる角度を様々に変えて実験を行い、運動エネルギー、衝撃加速度等を算出しており、運動エネルギーについては、その中で最大の値は、飛翔距離一〇メートルにおける二六〇ジュール前後、最小の値は〈3〉で掲げた表にある飛翔距離一三〇メートル前後における約二五ジュールであり、衝撃加速度については、最大の数値は水平に近い角度で発射し、対象物の表面に対し九〇度の角度で衝突させた場合の到達距離一〇メートルにおける約一五〇〇g、最小の数値は、水平面に対し四〇度の角度で上方に発射し、対象物表面に対し三五度の角度で下方から衝突させた場合の到達距離七〇メートルにおける三六〇gである。但し、最後の場合のような角度での飛翔態様が本件においてあり得たとは到底考えられないから、実際の衝撃加速度はほぼ前記の表に掲げた範囲のものとみてよいであろう。

B 石塊

重さ一〇〇ないし三〇〇グラムの石塊を通常人に投てきさせて実験した結果、次の結果を得た。

〈1〉 初速

石塊の重さにかかわりなく、平均毎秒約二四メートルであった。

〈2〉 到達距離、到達点での速度、運動エネルギー、衝撃加速度は次の表〈省略〉のとおりである(初速毎秒二四メートル、石塊の重さ二〇〇グラムの場合)。

なお、投石についても、磯部鑑定では右に掲げた以外にも種々の条件下での測定が行われており、測定された運動エネルギーの範囲は二二ないし六一ジュール、衝撃加速度の範囲は一七〇ないし五〇〇gであるが、ガス筒の場合と同様に、本件の成傷器が石塊であった場合の実際の投てきの条件を考えると、現実の問題としては、運動エネルギーは約三〇(到達距離三〇メートル、対象表面に八〇度の角度で衝突した場合の測定値にほぼ相当する。)ないし六〇ジュール(到達距離一〇メートルでの測定値に六一ジュールを記録した場合がある。)の範囲、衝撃加速度はほぼ前記の表に記載された範囲とみることができる。

イ 水戸意見

〈証拠〉によれば、磯部鑑定のうちガス筒の弾軸運動に関する部分に対する水戸厳(芝浦工業大学教授)の意見は次のとおりである。

運動する棒状物体には、その軸を運動方向に平行にするような力が作用するのであって、その逆に、軸を運動方向に垂直に近い方向に向けるような力は、空気力学的には全く存在しない。すなわち、流体中で運動方向とα度だけ傾いている棒状物体に働く抗力は、傾きが大きくなる程急速に高まり、αを小さくするように働くのであって、αを九〇度にするような力は存在しない。磯部鑑定で示された実験結果では離軸角度が変化するのみならず、その角速度が変化しているが、角速度を変化させるような力は空気中では働かないから、右角速度の変化は、測定に使用された紙的とガス筒との衝突によって生じたものと判断される。紙的との一回の衝突ごとに約三五〇〇ダイン/秒の衝撃を受けたものとすれば、αが九〇度近くで安定するという現象も含めて、同実験に現れたさまざまな離軸角の運動状態を説明することができる。

ウ その他の資料

〈1〉 〈証拠〉によれば、新型ガス筒には煙を噴出するS型と粉末を飛散させるP型とがあること、新型ガス筒を発射した場合、ガス筒の弾軸はかなり激しい揺れを示し、見た目には回転しながら飛んで行くような印象を与えることが認められる。

〈2〉 三上鑑定における模擬筒発射実験では、前示のとおり模擬筒が発射直後から直進せず、斜めあるいは横の姿勢で進行した。

〈3〉 後記のとおり、江守鑑定は、通常人の投てき能力について実験した結果として、三〇〇グラムの石塊を磯部鑑定にあるような初速で投げるのは通常人には無理であるとの見解を述べている。

エ 検討結果

以上のうち、特に問題とされている点について検討すると、磯部鑑定の実験において観察された弾軸の運動に水戸意見の指摘するような紙的との衝突による影響があり、必ずしも弾軸が真横を向くような姿勢が安定した状態であるとはいえないとしても、新型ガス筒ないし模擬筒の弾軸が飛翔中目まぐるしく動揺することは磯部鑑定・三上鑑定において観察されたとおりであると認められる。したがって、発射された右ガス筒が頭部を先端として真っすぐに対象物に衝突する可能性は少ないが、斜めにであれば頭部を先端として衝突する可能性は少ないとはいえず、この点が本件の成傷器を特定する上で決定的な意味をもつとはいい難い。なお、磯部鑑定が通常人が三〇〇グラムの石塊を投てきした場合の初速を一〇〇グラムの石塊を投てきした場合の初速と同一の毎秒約二四メートルとしている点には若干疑問がないでもないが、同鑑定においては主として重さ二〇〇グラムの石塊を投てきした場合について測定を行っているところ、投石の場合最も使われ易いのは重さ二〇〇グラム前後の石であると思われるのみならず、石塊の重さに多少の相違があっても、それに応じて初速も変動し、投石において石塊に与えられる運動エネルギーの総量に大差はないと考えられるから、運動エネルギーの点については、同鑑定の測定値は投石一般についてある程度の妥当性を有するものとみてよいであろう。

(二) 頭蓋骨の骨折に必要な衝撃エネルギー等

ア ガーディアンらの研究

〈1〉 〈証拠〉によれば、頭蓋骨の強度に関してE・S・ガーディアンらが行った研究の結果(一九四九年発表)は次のとおりである。

五五個の手を加えていない人頭を一定の高さから鋼鉄の板の上に落下させ、衝撃を前額中央部、頭頂骨前部、後頭中央部、左右の頭頂骨後部の四つの部位に加えて実験した。その結果によると、単一の線状骨折(亀裂骨折)を生じさせるのに必要な衝撃エネルギーは、四つの部位で、四〇〇インチポンド(四五・二〇ジュール)から九〇〇インチポンド(一〇一・七〇ジュール)まで様々であり、一〇〇〇インチポンド(一一三・〇ジュール)以上のエネルギーでも骨折を生じない場合もあった。同じ部位でも骨折を生じさせるのに必要な衝撃エネルギーに大きな違いがあるところから見て、各部位での骨折を起こさせるのに必要な衝撃エネルギーの平均値の違いは大きな意味を持たないと思われる。単一の線状骨折を生じさせるのに必要な衝撃エネルギーの平均値は、前額中央部で五七一インチポンド(六四・五二ジュール)、後頭中央部で五一七インチポンド(五八・四二ジュール)、頭頂骨前部で七一〇インチポンド(八〇・二三ジュール)、左右頭頂骨後部では六一五インチポンド(六九・五〇ジュール)であったが、前額中央部のみでも四二五インチポンド(四八・〇三ジュール)から八〇三インチポンド(九〇・七四ジュール)までのばらつきがあった。完全な骨破壊に要するエネルギーは、単一の線状骨折を生じさせるのに要するエネルギーに非常に近い。骨折を生じさせるのに必要なエネルギーの最小値が、六個の人頭において約四〇〇インチポンド(四五・二〇ジュール)にすぎなかったことは注目に値する。

骨折に必要な衝撃エネルギーが人頭によってこのように異なるのは、頭蓋骨の厚さ、形態、打撃の位置のわずかな違い等があるからである。乾燥した頭蓋骨では四〇インチポンド(四・五二ジュール)程度で骨折が生ずるのに対し、人頭では四〇〇インチポンド(四五・二〇ジュール)以上のエネルギーが必要なのであるから、頭皮のエネルギー吸収機能及び保護機能は明らかである。野球のピッチャーが投げるボール(重さ五オンス(約一四〇グラム))の速さを秒速一〇〇フィート(三〇メートル)とすると、その運動エネルギーは五八〇インチポンド(六五・五四ジュール)となり、これによって頭蓋骨の骨折が生ずる場合があることは、上記の実験結果を生体にも適用することができることを示している。 人頭について衝撃エネルギーの吸収時間を計ったところでは、頭蓋骨が鋼鉄板に接触してから変形を始めるまでに〇・六ミリ秒かかり、次の〇・六ミリ秒間に骨が変形し、骨折が起こった。

〈2〉 ガーディアンの追加的検討

〈証拠〉によれば、ガーディアンは、その後の著書において、骨折が生じるかどうかには骨・軟骨又は繊維性軟部組織の構造の状態、水和状態、頭蓋骨の厚さ及び重量等が影響するとした上、頭蓋骨骨折について一九七〇年にホジソンらが発表した二つの論文(後掲「ホジソンらの研究」の項目で扱うものはその一つと目される。)に言及し、右論文で報告されている実験結果によると、衝撃を受ける面に頭皮の代わりに代替物(ダイライト)を使用した頭蓋骨の前頭部に作用面が半径一インチ及び一六分の五インチの円筒側面の形状を有する質量一〇ポンド(四五三六グラム)の物体を衝突させた場合に、骨折を起こさせるのに必要な衝撃エネルギーは、一九四九年の実験で得られた数値の約五〇パーセントであるが、この理由としては、前記のように頭皮に代わる代替物が使用されていたこと、落下物の速度を少しずつ増加させることによってエネルギー・レベルをより正確に計ることができたこと、平らな鋼鉄の板が衝撃面である場合と前記のような半径一インチの円筒側面が衝撃面である場合との相違、半径一六分の五インチの円筒側面による実験の場合には実験に供した五個の頭部のうち三個で抑圧骨折(陥凹ないし陥没骨折)を生じたことを挙げている。

イ 川瀬研究

〈証拠〉によれば、川瀬幹雄は、乾燥した頭蓋骨を固定し、その前頭部中央、頭頂部(正中矢状面及びその左右三センチメートルの箇所)、後頭部中央に重さ一一〇〇グラムの物体(作用面八・〇四平方センチメートル)を落下させて実験した結果、次のような結論を得ている。

個体差は大きいが、衝撃エネルギー五・三九ジュール付近が亀裂骨折の生ずる限界点であり、重ねて打撃を加えた場合には、八ないし一三ジュール付近で陥凹骨折を生ずる。衝撃エネルギーが大きくても速度が低速であれば骨折は生じ難い(別紙一三の表で明らかなとおり、正中矢状面において質量一一〇〇グラム、秒速四・四三メートル、衝撃エネルギー一〇・七〇ジュールの場合過半数の頭蓋骨で亀裂骨折を生じたが、質量五二〇〇グラム、秒速三・六九メートル、衝撃エネルギー二八・六七ジュールでも骨折を生じない。)。実験により亀裂骨折を生じた際の衝撃持続時間と衝撃加速度(落下物体のそれ)を計測した結果は別紙一四のとおりであり、これによると前者は二ないし一〇ミリ秒、後者は四〇〇ないし五〇gである。

ウ 佐野らの研究

〈証拠〉によると、佐野圭司らの「衝撃による脳損傷の医学と力学」と題する論文(自動車技術二二巻七号六三五頁)には次のような記述がある。

頭皮は、平らな物に当たったときは衝撃加速度一〇〇gまでは裂けない。また、トーマスらの行った実験によると、八〇gまでの衝撃の範囲では頭蓋骨にひずみがほとんど発生していないようなデータが出ており、以上からすると、一〇〇g位までの衝撃の範囲では、頭皮がクッションになり、それを超えると頭皮が裂けて頭蓋骨のひずみが発生することになっているという可能性がある。

猿(全部についての体重は明らかにされていないが、そのうち体重の明らかな数体では八・〇ないし一二・五キログラム)を、頭部を下にし、前頭部が衝突するような姿勢で数メートルの高さから地上に落下させる実験をした結果では、落下距離六・七五メートル以上は死亡、六メートル以下では生存で、短時間の意識混濁が見られたのみにとどまった。生死の境は、落下距離でいえば約六・五メートル、衝撃速度では時速約四〇キロメートル(秒速一一・一メートル)、衝撃加速度は約一八〇gと推定された。この結果を直ちに人間に適用することはできないが、小林のエネルギー計算資料では、人間で重症脳外傷を発生する落下距離はほぼ五メートルと推定されているところからすると、人間における生死の限界は猿よりも少し低い値を示すのではないかと推定する。

エ 佐藤意見

〈証拠〉によれば、佐藤進(京都大学教授)は、次のように論ずる。

〈1〉 衝撃加速度と骨折との関係

飛翔物体の衝突直前、直後の速度をそれぞれv、vf、衝撃持続時間をT、飛翔物体が衝撃持続時間T中に達する最大衝撃加速度をGとすると、衝撃波型は三角形に近似するから、飛翔物体が時間T中に頭蓋骨に与える最大衝撃速度vsは、次の式によって表わされる。

Vs=V-Vf=1/2・GT

一般に材料力学では、衝突の際に試験片に加えられた運動エネルギー1/2・mvの2乗(mは質量、vは速度)と試験片の破壊との関係を求めるのが通例である。川瀬研究でも、まず右関係を求めた上、同一エネルギーであっても速度効果が存在するのではないかとして、Vs=1/2・GTあるいはGとTと骨折との関係を求め、衝撃持続時間は二ないし一〇ミリ秒、衝撃加速度は五〇ないし四〇〇gのとき、頭蓋骨穹窿部骨折が生ずるとの結論を下している。しかし、右結論は、一一〇〇グラムの質量の物体を衝突させたことを前提としているのであり、本件では亡薫の死亡を招いた成傷器の質量として九〇ないし二〇〇グラムが想定されているのであるから、衝撃の一つのメルクマールである運動量mvの概念を媒介として川瀬研究の結果を右質量の場合に換算すれば、骨折を生ずるのに必要な衝撃加速度は、T=二ないし一〇ミリ秒の場合、G=四八九〇ないし六一〇g(質量九〇グラムのとき)、G=二二〇〇ないし二七五g(質量二〇〇グラムのとき)としてよいであろう。

ところで、磯部鑑定によると、投げられた石塊の質量が二〇〇グラムの場合、衝撃持続時間を一〇ミリ秒として計算すると、その最大衝撃加速度は五〇〇ないし一七〇gとされている。これは、衝突後の石塊の速度が零になるという前提で計算されたものであるが、一般に飛翔物体が衝突した相手の物体から離れる速度vfは零ではなく、かなり大きなものであるのが普通であり、頭蓋骨に衝突した場合には衝突前の速度の二分の一を超えると思われる。成傷器の質量が二〇〇グラムのとき、vfをvの二分の一と小さめに見積もっても、投石の場合の最大衝撃加速度は磯部鑑定で計算されたものの二分の一すなわち二五〇ないし八五gとなり、vfをvの三分の二と見積もれば、磯部鑑定で計算されたものの三分の一すなわち一六七ないし五〇gとなる。これを前記の骨折を生ずるのに必要な衝撃加速度二七五g(T=一〇ミリ秒の場合)と比較すると、投石による頭蓋骨の陥凹骨折は起こり難いと結論することができる。

しかも、川瀬研究が扱っている頭蓋骨は、頭皮が付いていない乾燥したものであり、頭髪の付着した、まだ乾燥していない人頭は、乾燥した頭蓋骨だけのものに比べ一〇倍の強度を持つとされている(Handbook of Human Tolerance二六八頁)から、頭髪の付着した人頭は川瀬研究の示す数値の一〇倍、つまり、T=一〇ミリ秒のとき質量一一〇〇グラムではG=五〇〇gまで、質量二〇〇グラムではG=二七五〇gまで骨破壊を生じないものとみるべきであろう。そうすると、前記のとおり二〇〇グラムの質量の石塊の投てきに基づく衝撃加速度がT=一〇ミリ秒のときG=二五〇ないし五〇g程度であるとすれば、これによっては頭蓋骨の陥凹骨折は到底生じ得ないといえよう。

〈2〉 頭蓋骨に陥凹骨折を生ぜしめる衝撃エネルギーについて

川瀬研究によれば、衝撃エネルギーが五・三九ジュールのとき三例中一例に骨折が生じ、八・〇九ジュールのとき六例全部に骨折が生じている。このことから、同研究は、五・三九ジュール付近が頭頂骨に骨折が生ずる限界点であるとしているが、五・三九ジュールでは骨折の態様はすべて亀裂骨折にすぎず、八・三九ジュールでは六例中一例に陥凹骨折を生じているから、陥凹骨折を生ずる限界のエネルギーは八・〇九ジュールであると一応考えてよい。しかし、同研究で紹介された実験結果の数例(同研究二九七頁図24、25)を見ると、二五ジュールあるいは一五ジュールでも、第一回目や第二回目の衝撃では骨折が生ぜず、第三回目で初めて骨折が生じているが、これは衝撃の反復による一種の疲労効果が加味された結果(低サイクル疲労ともいえる。)であり、第一回目の場合より破壊に要するエネルギーは小さくなる。したがって、二五ジュールあるいは一五ジュールでも一回で陥凹骨折を生ずるのに十分な衝撃エネルギーとはいえず、もっと大きなエネルギーを見積もる必要があろう。

以上からすると、頭蓋骨穹窿部に陥凹骨折を生ずる衝撃エネルギーは、八ないし三〇ジュールとおおざっぱに見積もらざるを得ない。

更に、前記のとおり、川瀬研究で使用された頭蓋骨は乾燥した、頭皮の付着していないものであるが、前記Handbook of Human Toleranceによれば、頭髪の付着した乾燥していない頭蓋骨に亀裂骨折を生ぜしめるのに必要な衝撃エネルギーは、頭皮の付着していない乾燥した頭蓋骨の場合の一〇倍の四五・一九ジュールであるから(一般に、大腿骨などでは一〇ないし一五倍と言われる。)、生体の頭蓋骨に陥凹骨折を生じさせるのに要する衝撃エネルギーは、川瀬研究の実験結果の数倍ないし一〇倍と見積もる必要があろう。

また、川瀬研究では、前記のとおり亀裂骨折を生ぜしめる限界エネルギー(E1)は五・三九ジュール、陥凹骨折を生ぜしめる限界エネルギー(E2)は八・〇九ジュールとされ、後者は前者の一・五倍のエネルギーを要することになるが、E2では六例中一例で陥凹骨折が起こっているにすぎないことを考えれば、一・五倍以上とすべきであろう。

以上のこと、すなわち、

(a)乾燥した人頭骨に陥凹骨折を生ぜしめる衝撃エネルギー(E2)は八ないし三〇ジュール程度であること、

(b) 生体の頭蓋骨に亀裂骨折を生ぜしめるのに必要な衝撃エネルギーは、川瀬研究の場合の一〇倍程度であるから、(a)からすると、生体の場合のE2は八〇ないし三〇〇ジュールとすべきものと考えられること、

(c) 他方、Handbook of Human Toleranceによれば、頭髪の付着した頭皮を持ち、まだ乾燥していない人の頭蓋骨に亀裂骨折を生ぜしめるのに必要な衝撃エネルギー(E1)は、四五・一九ないし一〇一・六八ジュールであること、

(d) E2/E1=1.5又はそれ以上であるから、(c)からすると、生体の骨折の場合のE2は六七・七九ないし一五二・五二ジュールと算定されること、

を総合すると、生体に陥凹骨折を生ぜしめる衝撃エネルギーは、おおむね八〇ないし二〇〇ジュールとみてよいであろう。

一方磯部鑑定によれば、二〇〇グラムの石塊の投てきによる衝撃エネルギーは二二ないし六一ジュールであるから、投石によって本件の頭蓋骨骨折を生じさせることは不可能といえよう。

オ ホジソンらの研究

〈証拠〉によれば、V・R・ホジソンらは、「円筒側面に対する前頭骨の骨折現象」と題する論文で、次のように報告していることが認められる。

上体を斜めに吊り、頭部を可動の状態とした一二体の死体の前頭部に、作用面が円筒(半径一インチ及び一六分の五インチ)の側面様の形状をもった物体(総重量一〇ポンド(四五三六グラム)(以下「円筒体」という。)を落下させて実験を行った。落下の高さは五インチから始めて骨折が起こるまで五インチずつ増加させていった。繰り返される打撃で骨の上にある柔らかい組織に変化が生ずるため、右組織を一立方フィート一・九八ポンドの密度のダイライトの厚さ四分の一インチのもので置き換えることとした。

実験の結果、半径一インチの円筒体によって打撃を加えられた七体の頭蓋骨の骨折については、ピーク力は九五〇ポンド(女性死体)から一六五〇ポンドまで分布し、平均一二六〇ポンドであった。また、半径一六分の五インチの円筒体の場合の五体については結果はよりばらつきがあり、ピーク力七〇〇ないし一七三〇ポンドで楕円形の局部骨折を生じたものが三体、ピーク力一二八〇ポンドおよび一六〇〇ポンドで線状骨折を生じたものが二体であり、五体を平均した骨折時のピーク力は一二三〇ポンドであった。なお、骨折を生じた際の速度の平均値は、半径一インチの場合で秒速九・八フィート、半径一六分の五インチの場合で秒速九・六フィートであり(この速度に基づいて運動エネルギーを算出すると、半径一インチの場合で二〇・三ジュール、半径一六分の五インチの場合で一九・五ジュールである。)、同じく衝撃持続時間の平均値は、半径一インチの場合で二・三ミリ秒、半径一六分の五インチの場合で二・四ミリ秒である。

カ 柴田の実験の結果及び意見

〈証拠〉によれば、本件について控訴人代理人から依頼を受けた柴田俊忍(京都大学教授)は、磯部孝鑑定書(〈証拠〉)にある投石実験に則り、重さ二〇〇グラムの石塊を投てき角度五ないし二〇度で投てきした場合の到達距離が一〇ないし三五メートルであり、到達地点での速度は毎秒二二ないし二三メートル、運動エネルギーは四七ないし五四ジュールであることを前提として、これにより人の後頭部に亡薫の場合と同程度の陥凹骨折を形成することが可能かどうかを実験に基づき考察した。その結果は、次のとおりである。

〈1〉 乾燥骨による実験

乾燥した成人の頭蓋骨六体(一体を除いて水を充満したビニール袋を内側に挿入したもの)を固定し、その左右の後頭部(ほぼ亡薫の受傷部位に相当する箇所)にアルミニウム製の棒の先端に半径一四・八ミリメートルの硬質塩化ビニール製の半球体を固定したもの(質量二〇〇グラム)を弾丸として衝突させて、骨の破壊の状況を見た。衝突位置での皮膚及び頭髪を模擬する目的で、六センチメートル平方の厚さ三ミリメートルの柔らかいゴムと厚さ四ミリメートルの硬質のゴム板を当てて実験したが、その寸法が小さかったため、ゴム板の吸収エネルギーはほとんど無視することができたと考える。骨折を生じた部分の骨の厚さは四・〇ないし五・八ミリメートルであった。

実験は部分骨と全体骨について行われたが、全体骨についての実験結果の概略は次のとおりであった。

(a) 衝突速度が毎秒一八メートル(衝撃エネルギー三二ジュール)を超えると、ほぼ弾痕に一致した陥没骨折を生ずるが、秒速一四・一メートル(衝撃エネルギー二〇ジュール)で陥凹骨折を生じた場合もあった。

(b) 衝突速度が毎秒一一ないし一八メートル(衝撃エネルギー一二ないし三二ジュール)の間では、弾痕にほぼ一致した円状又は円弧状の骨折が生じるが、内板に達しない場合には亀裂骨折となり、内板に達した場合には陥没(又は陥凹)骨折になるものと思われる。

(c) 衝突速度が毎秒一一メートル(衝撃エネルギー一二ジュール)以下では亀裂骨折のみを生じる(なお、亀裂骨折のみに終わった場合の衝撃エネルギーは八・六ジュールから三一・三ジュールにわたっている。)。

〈2〉 実験結果の考察

(a) 他の研究者の研究結果との比較

ガーディアンらの研究(〈証拠〉)、川瀬研究(〈証拠〉)の結果と比較しつつ本実験の結果を検討する。

ガーディアンらの研究では、手を加えていない死体の頭部に線状骨折(亀裂骨折)を生じさせるのに四五ないし一〇二ジュールを要しており、乾燥骨で線状骨折を生じさせるのに要する衝撃エネルギーはその一〇分の一である。

川瀬研究によれば、法医学教室で剖検に使用された人の頭蓋骨について実験した結果、五・三九ジュールが亀裂骨折を生じる限界のエネルギーである。但し、この研究では半球状に切断した頭蓋骨を試験体としているため、全体骨と比較すれば耐衝撃強度はいくらか大きくなることが推測される。したがって、この限界値は、ガーディアンらが乾燥骨に亀裂骨折を生じさせるエネルギーとして挙げた四・五ジュールにほぼ一致しているものとみることができる。川瀬の実験結果のうち、頭頂骨に関する三二例について衝撃エネルギーと骨折像の構成比との関係を検討すると、別紙一五の図面のとおりであり、試験体のうち五〇パーセント以上のものが陥凹骨折あるいは陥没骨折を起こす衝撃エネルギーはほぼ二〇ジュールである。

本実験で陥没骨折が生じた個々の場合の衝撃エネルギーは、川瀬の実験結果によっても、いずれもかなりの確率で陥没骨折を生じうるエネルギーであり、本実験の結果は、川瀬の実験結果と矛盾するものではない。

(b) 生体の骨折を推定するための仮定

生体の頭蓋骨に損傷を与える衝撃エネルギーを推定するために、ガーディアンら及び川瀬の各研究並びに今回の実験結果に基づいて次のような仮定をおく。

(i)  乾燥骨において頭蓋骨に亀裂骨折を生じさせるのに必要とする最小エネルギーは四・五ジュールである。

(ii) 生体骨では、一〇二ジュールまでは陥凹骨折又は陥没骨折を生じない。

(iii)  生体骨で亀裂骨折が生ずる最小のエネルギーは四五ジュールである。

(iv) 生体の頭蓋骨の耐衝撃強度は、頸部の回転が自由であることや衝撃を和らげるための行動が可能であることにより、死体のそれの耐衝撃強度より大きくなる可能性を持っているが、衝撃時間がごく短時間であることより同一であると仮定する。

右(i) 及び(iii) により、生体の頭蓋骨の耐衝撃強度は、骨折を生ずる最小のエネルギーで比較して乾燥頭蓋骨の一〇倍であり、陥凹骨折に対してもこの一〇倍の比率が成立するものとすると、乾燥骨において陥凹骨折を生ずる最小のエネルギーは右(ii)により一〇・二ジュールとなる。この、陥凹骨折零となる限界の数値を、川瀬の実験結果により得られた衝撃エネルギーと骨折像の構成比に関する前記図面に記入すると、別紙一五の図面の破線となり、これによる方が同実験による他の部分の数値との間に一層の連続性が認められ、合理的である。

(c) 生体の頭蓋骨の損傷と衝撃エネルギーとの関係

上述の仮定及び実験結果に基づいて頭蓋骨の損傷と衝撃エネルギーとの関係及び弾丸の質量を二〇〇グラムとしたときのその衝突速度を計算した結果は、次の表のとおりである。〈表 省略〉

(d) 投石による影響

磯部鑑定にあるとおり、重さ二〇〇グラムの石塊の到達地点における速度が毎秒二二ないし二三メートルであるとすれば、そのときの運動エネルギーは四七ないし五四ジュールとなる。この値は、亀裂骨折を生じさせるのに必要な最小のエネルギーを若干超えた値であり、陥凹骨折を生じさせるのに必要な最小のエネルギーの約半分である。

更に、角度五ないし二〇度で投てきすれば、投てき速度をvとしたとき頭蓋骨に対して直角の速度成分vnは、次の式により約〇・四ないし六・一パーセント減少する(この計算は、地面に対して垂直な頭蓋骨の表面に投てき角度のまま直進した石塊が衝突することを前提としている。)。

vn=v×cos(5°~20°)=v×(0.996~0.939)

〈3〉 結論

以上によれば、運動エネルギー四七ないし五四ジュールを持つ石塊によって成人の右後頭部に亡薫の頭蓋骨に発生したような陥凹骨折を形成することは不可能である。

キ 江守鑑定

〈証拠〉によれば、前記のとおり亡薫の死亡に関する付審判請求事件について提出された江守鑑定の内容は次のようなものである。

〈1〉 結論

一般の投石では本件のような骨折は起こらないが、重さ二〇〇グラム以上の石塊を毎秒二一メートル以上の速度で投てきすれば、右骨折は発生する可能性がある。新型ガス筒では発生の可能性は十分である。

〈2〉 理由

(a) 既知の事実

(i)  Handbook of Human Tolerance等の文献によれば、頭蓋骨の破壊強さは7.5±3.6kg/平方ミリメートル、厚さは二ないし六ミリメートル程度で場所によりかなり相違があり、亡薫の受傷部位では約四ミリメートル程度である。死体を用いた頭頂部衝撃骨折試験によれば、衝撃試験片の接触時間は二ないし五ミリ秒である。

(ii) 頭皮は厚さ四ミリメートル程度で、骨折を起こすような衝撃を受けた場合、衝撃エネルギーの六ないし一三パーセントは頭皮に吸収される。これと同程度のエネルギー吸収能力を有する材料はシリコンゴムである。

(iii)  久保田光雄及び上山勝作成の鑑定書(〈証拠〉)に述べられたガス筒発射実験によると、その初速は毎秒約八五メートル、一五メートル飛翔後の速度は毎秒約七五メートルである。

磯部鑑定における実験結果によると、一〇〇ないし三〇〇グラムの石塊を通常の人に投てきさせた場合の速度は、石塊の重さに関わりなく毎秒約二四メートルであった。

(iv) 昭和四七年七月、日米大学野球大会の試合中に二塁付近で走者が野手の投球を後頭部に受け、線状骨折を生じ、死亡するという事故(以下「日米野球事故」という。)が発生した。投球の速度は、野球の選手であるから秒速三三メートル(時速約一二〇キロメートル)程度と推定される。また、硬式野球のボールの重さは約一四〇グラムである。

(b) 本件に関する物理学的原理

(i)  材料力学における板や殻の曲げ

板が衝撃を受けて曲がると、曲がった内側の部分は圧縮され、外側の部分は引っ張られる。その他、荷重の周辺では、板はせん断されるような力を受ける。破壊のモードは、以上三種類の応力のどれに対して板が最も弱いかによって異なってくるが、一般には曲げとせん断力が共に生ずるために板は破壊する。

(ii) 周辺固定の円盤の集中荷重による応力分布

周辺を固定した円盤の中心部に荷重を加えると、中心部では円周方向の応力が大きく、半径方向の応力の最大値は中心部と固定された円周に近い部分に生じ、破壊は応力の最大になる部分で生ずる。本件骨折はこのような円盤の破壊の態様に似ているので、骨折の中心部に集中荷重が加わったものと推定される。

(iii)  物体の衝突

頭部に石塊あるいはガス筒が衝突した場合において、衝突物体と静止物体の質量をそれぞれm1、m2、衝突物体の速度をvとすると、右のような物体の衝突は塑性衝突に近く、衝突後の両者の速度はほぼ等しいから、その共通速度をv’とすると、運動量不変の法則は次のように書くことができる。

m1v=(m1+m2)v’

したがって、衝突によるエネルギーの損失は次の式によって表わされる。

1/2m1v2-1/2(m1+m2)v’の2乗=1/2m1vの2乗×{1÷(1+m1/m2)}

もしm2がm1に比べて非常に大きい場合には、この式から解るように、ほとんどすべてのエネルギーが失われる。人間の頭部の重さは約五キログラムであるから、石塊やガス筒の重さが一〇〇グラム程度であれば、頭部に比して遥かに軽く、頭部の曲面に直角に当たれば、ほとんどのエネルギーが衝突によって消滅する。

(iv) 模型による実験の結果とその物理的解釈

周辺を固定したアクリル板の中心に静的荷重をかけてその破壊するときの荷重を測定した結果、破壊荷重は板厚の二乗に比例し、板は主に曲げで破壊することが明らかになった。

しかし、周辺を固定したアクリル板に鋼球を落下させて行った実験の結果によると、飛翔物体が衝突して破壊するような動的破壊現象においては、静的破壊とは全く異なる現象が起こっており、二つの物体が接触した非常に小さい面に大きな応力が生じ、その部分が局部的に破壊するが、このようにしていったん非常に小さい亀裂が生ずると、その部分に大きな応力集中が起こり、その亀裂は容易に成長する。相似な周辺を固定したアクリル板に重さ一〇〇グラムの鋼球を自由落下させた場合、相似な亀裂を生ずる鋼球の速度は板厚に比例し、したがって落下距離は板厚の二乗に比例する。

(v)  模型による本件骨折の再現実験

円筒型の容器に液体を満たし、その上に厚さ二ミリメートルのアクリル板を固定し、アクリル板の上に頭皮による衝撃緩衝をシュミレートするため厚さ二ミリメートルのシリコンラバーをかぶせ、この模型装置を柔らかいスポンジの上に置いて自由に移動するようにした。円筒の直径は八七ミリメートルで、装置の重量は頭部とほぼ同じである。衝突する物体の加速は自由落下により、衝突物体としては硬式野球のボール、重さ一〇〇グラム・直径二九ミリメートルの鋼球、一〇〇ないし二〇〇グラムの角のとれた石塊を用いた。

実験結果及びこれに基づく考察は次のとおりである。

(頭髪の影響)

前記模型のシリコンラバーの上に更に人間の頭髪を乗せ、落下衝撃実験を行った。頭髪は、鋼球、ボール、石塊のいずれでも、初めて亀裂が入り始める場合にはかなりの緩衝効果があり、亀裂の入り始めに要する速度が増大するが、いったん亀裂が入り陥没が始まるほどの衝突速度になると、頭髪の影響はほとんどないことが判明した。

(野球ボールによる骨折の確認実験)

前記の日米野球事故における野球ボールによる頭蓋骨骨折と模型実験とを比較することにより実験方法を確認する。

野球ボールの当たった後頭部の骨の厚さは約六ミリメートルである。野球ボールを前記模型のアクリル板の上に落下させると、落下速度毎秒七ないし九メートルが亀裂を生じて陥没破壊に至らない範囲の速度であるから、日米野球事故におけるボールの衝突速度毎秒三三メートルに相当する模型に対する速度は毎秒約八メートルである。破壊に相似性があれば、それぞれの材質の衝撃に対する相対的な強度を示す数値δ/δ’と衝突物体の速度v、v’及び厚さh、h’との間には次の関係が成り立つ。

δ/δ’={(v/v’)・(h’/h)}の2乗

この式にv=33m/sec’v’=8m/sec’h=6mm’ h’=2mm

を代入すると、

δ/δ’≒1.9

となる。すなわち、衝撃に対しては骨の方がアクリルより約二倍強い。

(高さの異なる落下試験と結論)

以上の結果、どのような速度で骨の陥没が起こるかを模型実験により明らかにすることができる。

周辺を固定した直径八七ミリメートル、厚さ二ミリメートルのアクリル板を水平から二〇度傾け、その表面を厚さ二ミリメートルのシリコンラバーと頭髪で覆い、これに一〇〇グラムの鋼球を落下させた。その結果を相似則を用いて頭蓋骨に対する石塊の衝撃に換算すると、次のとおりである。〈表 省略〉

磯部鑑定によると、一〇〇グラムから三〇〇グラムまでの石塊を通常の人が投てきした場合の初速は石塊の重さに関係なく秒速約二四メートルであるとされているが、江守の実験したところによると、重さが三〇〇グラムになると、それほどの初速は出ない。したがって、右の表の数値からして、通常の人が投てきした石塊が頭部に当たっても、亀裂は入るが陥没はしない。しかし、二〇〇グラム又はそれ以上の重さの石塊を秒速二一メートル以上で投てきする能力のある人であれば、相手の頭部に陥没骨折を生じさせる可能性を否定できない。

衝突物体がガス筒である場合には、飛翔速度は高く、陥没骨折を生ずるのに十分である。

ク 江守鑑定に対する反論等

(a) 渡辺意見

〈証拠〉によれば、江守鑑定に対する渡辺一衛(東京医科歯科大学教授)の批判は、次のとおりである。

江守鑑定は、実験室での実験の結果を、日米野球事故の例と比較考察することによって、亡薫の受傷が投石によって生じた可能性があるとしている。

しかし、江守鑑定においては日米野球事故での受傷部位を頭蓋骨の最も厚い部分と考え、厚さ六ミリメートルとして計算しているが、当時の新聞報道等によれば、同事故の被害者はこのときヘルメットをかぶっており、球はヘルメットの下の耳の後ろに当たっているので、受傷部位の骨はむしろ薄いと考えられる。

一般に頭蓋骨の厚さは頭の上の方が厚く、下の方が薄いのであり、その強度もこれに対応するものと考えられるので、同鑑定にあるように頭蓋骨の厚さが二ないし六ミリメートルであるとすれば、右被害者の受傷部位の骨の厚さは四ミリメートル又はそれ以下と見るべきであろう。

そこで、同鑑定でアクリル板と人との頭蓋骨との比較について定められた式である

δ/δ’={(v/v’)・(h’/h)}の2乗

における頭蓋骨の厚さに当たるhに、同鑑定のように六ミリメートルでなく四ミリメートル又は二ミリメートルを代入すると、δ/δ’は前者の場合江守鑑定の計算値の四分の九倍、後者の場合同鑑定の計算値の九倍となる。すなわち、同鑑定では、日米野球事故における受傷部位の頭蓋骨の厚さが六ミリメートルであることを前提として、二〇〇グラムの石塊を投てきした場合に、速度毎秒一四メートルで亀裂が始まり、毎秒二一メートルで陥没が始まるとされているが、これについて右のような補正を行うと、次のような結果になる。〈表 省略〉

この値は、川瀬研究、リスナーの実験、Handbook of Human Tolerance等の掲げる数値と比較しても妥当なものであるといえる。例えばHandbook of Human Tolerance等では頭部に線状骨折(亀裂骨折)を生じさせるのに必要な最小エネルギーは約六〇ないし八〇ジュールとされているが、前記補正された結果に基づいて計算すると、日米野球事故における受傷部位の骨の厚さを四ミリメートルであったと仮定した場合のボールの運動エネルギーは四四・一ジュールと、右厚さを二ミリメートルであったと仮定した場合の右運動エネルギーは一七六・四ジュールとそれぞれ算出され、いずれも右文献の示す最小値を超えるのに対し、江守鑑定の数値は一九ジュールにすぎず、やや低い。

したがって、二〇〇グラムの石塊を投てきして亡薫に見られるような骨折を生じさせるには毎秒三〇ないし六〇メートルの速度が必要であり、これは普通人の投石では不可能な速度であるから、石塊による受傷の可能性はほぼ否定される。

(b) 江守鑑定の当否に関するその他の資料

(i)  〈証拠〉によれば、江守一郎著「交通裁判の科学」には、頭蓋骨の厚さは人によって多少違いがあるが、側頭部は約二ミリメートル、後頭部と前頭部は約七ミリメートル程度であり、側頭部の骨は薄いから衝突によって変形し易い旨の記載があることが認められる。

(ii) 〈証拠〉によれば、皆藤美實「日本人頭蓋骨の厚さについて」(東京慈恵会医科大学雑誌九五巻三号)には、二四八個の日本人の頭蓋骨につき、あらかじめ定めた一九の部位において厚さを計測した結果が報告されている。これによると、日米野球事故においてボールが当たったとされる耳の後方に最も近いと思われる計測部位は番号18のアステリオン前部であり、これに次いで近いと思われるのは番号17の側頭骨鱗部中央部(耳孔の上方)であるが、一二二個の成人男性(二〇歳から五九歳まで)の頭蓋骨において前者の平均厚は右側約六・〇六ミリメートル(最厚一一・四〇、最薄一・七八ミリメートル)、左側約六・三九ミリメートル(最厚一〇・九〇、最薄一・七七ミリメートル)、後者の平均厚は右側約一・七三ミリメートル(最厚六・〇〇、最薄〇・四三ミリメートル)、左側約一・七六ミリメートル(最厚四・七三、最薄〇・六〇ミリメートル)であって、両者の間には大きな開きがあり、しかもそれぞれにつき個体差はきわめて大きいことが認められる。

この間において、ボールに当たった箇所の実際の厚さがどの程度であったかをより詳しく知る資料はない。

ケ 検討結果

以上を総合的に分析、検討する。

物体の衝突によって骨折が生ずるかどうかを決定する物理的因子としては、まず物体の運動エネルギーが考えられるが、川瀬研究によって明らかにされているように、衝撃加速度がある一定のレベルに達しているかどうかも関係する。また、江守鑑定で引用されているHandbook of Human Toleranceの記述やホジソンの実験から明らかにされているように、物体の形状も関係する。本件では、衝突した物体が石塊であると仮定した場合、その正確な形状を知ることができないから、直接的には、衝突する物体について想定される運動エネルギー及び衝撃加速度が骨折を起こすのに十分かどうかが検討すべき点である。

〈1〉 まず、頭蓋骨に亀裂骨折(線状骨折)を生ずるのに必要な衝撃エネルギーの量を考えると、最も生体に近い、頭皮や頭髪の付着した人の頭部を用いてした実験としては、ガーディアンらのした実験があるが、これによると、頭部を平らな鋼板上に落下させた場合、頭蓋骨の骨折を生ずるのに必要な最低の衝撃エネルギーは四五・二〇ジュールとされる。川瀬研究によれば、陥凹骨折を生ずるのに要するエネルギーは亀裂骨折を生ずるのに要するエネルギーの約一・五倍であるから、陥凹骨折を生ずるのに要する衝撃エネルギーは六七・八〇ジュールとなる(なお、陥凹骨折を生ずるのに要するエネルギーと亀裂骨折を生ずるのに要するエネルギーとの格差の点については、〈証拠〉によると、ガーディアンらは、その実験結果の報告において、単一の線状骨折を生じさせるのに十分なエネルギーが吸収された後に複数の線状骨折や骨の破壊を生じさせるのには僅かのエネルギーしか要しなかったと述べていることが認められる。前記約一・五倍の格差を認めた川瀬の実験もガーディアンらの実験も、逐次落体の高さを高めつつ衝撃を繰り返して行く事により骨折を生じさせるのに必要な衝撃エネルギーの量を測定しており、実験方法は同様であるから、両者の実験結果の間には食い違いがあるといわざるを得ないが、江守鑑定における実験結果、柴田の実験結果においても、亀裂骨折を生じさせるのに必要なエネルギーと陥没ないし陥凹骨折を生じさせるのに必要なエネルギーとの間にはかなりの差があるという結果が出ているので、右川瀬の研究結果を採用する。)。磯部鑑定によれば、新型ガス筒の場合には七〇メートル程度までの飛翔距離で衝突が起こったときには、この程度以上の運動エネルギーを保持しているものと考えられるが、投石(二〇〇グラムの石塊)の場合には、この程度の運動エネルギーを保持することは困難である。

これに対して、死体の頭部を対象にして行ったホジソンらの実験は、乾燥した頭蓋骨のみを対象としたものでないという点では、ガーディアンらの実験に次いで生体に近い材料を用いたものであるが、これによれば、頭部を可動の状態に置いてその上に物体を落下させた場合、平均して二〇ジュール前後の衝撃エネルギーで亀裂骨折が起こっており、したがって、陥凹骨折を生ずるのに必要な衝撃エネルギーも三〇ジュール前後と考えられる(なお、〈証拠〉によれば、ガーディアンは前記追加的検討においてホジソンらの実験結果を整理した表を作成しており、それによると、ホジソンらの実験に基づいて計算した亀裂骨折の発生に要する衝撃エネルギーは、半径一インチの円筒体を成傷器とする場合で平均三五九・二in/lb、半径一六分の五インチの円筒体を成傷器とする場合で平均(但し、格段に数値の低い一例を除く。)三九七・五in/lbであるとされている。しかし、右エネルギー計算における単位in/lbが何を意味するのか明らかでない。これが仮にインチポンドを意味するとすれば、右計算結果は、運動エネルギーの公式によっても、位置のエネルギーの公式によっても、〈証拠〉に示されたホジソンらの実験結果からは導き出すことのできないものであり(〈証拠〉参照)、採用することができない。)。再び磯部鑑定によれば、新型ガス筒の場合には飛翔距離一〇〇メートル程度までであればこの程度の運動エネルギーを保持しており、投石(質量二〇〇グラム)の場合にも、到達可能距離内では同様である。

右のように、ホジソンらの実験結果とガーディアンらのそれとの間にかなり大きな差があり、これを生じた原因は明確でない。すなわち、第一に、ガーディアンらの実験方法とホジソンらの実験方法とを比較した場合、後者の方でより骨折が生じ易くなることの原因として考えられる最も顕著な違いは、成傷器の形状(平板と円筒側面状)であるから、衝撃エネルギーとしてはホジソンらの研究によって得られた程度のエネルギーで骨折を生じうるものの、そのためには成傷器の作用面の形状について更に一定の条件を要するのではないかとも考えられるが、柴田の実験では半球状の作用面を有する物体の衝突によってガーディアンらの実験結果に近い結果が得られていることからすると、必ずしも成傷器の形状の相違が食い違いの原因であるともいえない(なお、柴田意見が実験で頭皮の代替物として用いたゴム板のことを考慮にいれていない点に多少問題があることは後記のとおりであるが、江守鑑定の引用するHandbook of Human Toleranceの記述によれば、衝撃エネルギーの六ないし一三パーセントを頭皮が吸収するとされているところから、ガーディアンらの実験結果による未乾燥・頭皮付きの場合の骨折に要するエネルギー四五ジュールのうち六ないし一三パーセント程度が頭皮に吸収されると仮定し、これにより柴田の実験結果に修正を加えて考えても、右実験結果とホジソンらの実験結果との間に整合性を見いだすことは到底できない。)。第二に、ガーディアンらの実験は、打撃の部位を前額中央部、頭頂骨前部、後頭中央部、左右の頭頂骨後部の四箇所として、その結果を総合したものであるのに対して、ホジソンらの実験は、専ら前頭骨に打撃を加えたものであるところ、〈証拠〉によれば、ガーディアンらの実験で前額中央部に骨折を生じさせるのに要した衝撃エネルギー(一〇回の平均五〇〇インチポンド(六七・八〇ジュール))と頭頂骨後部に骨折を生じさせるのに要した衝撃エネルギー(一〇回の平均六八九インチポンド(七七・八六ジュール))との間には差があり、このような打撃を加えた部位による骨の強度の差が二つの実験の結果の食い違いを説明するかのようにも見えるが、一方〈証拠〉によれば、川瀬の乾燥骨による実験では、前頭骨は頭頂骨より骨折を生じ難いという結果になっており、これに個体差の大きいことをも考慮すると、結局、打撃の部位による骨の強度の差を右各研究結果の食い違いに対する説明として用いるのには十分な根拠があるとはいえない。第三に、ホジソンらが頭皮の代替物を用いた点については、前記Handbook of Human Toleranceの記述において頭皮が吸収するとされる衝撃エネルギーの量からすると、仮に代替物が適当でなかったとしても、その点だけでは右の差異を説明するのに十分ではないようである。以上の次第で、ガーディアンらとホジソンらによる二つの実験結果を比べただけでは、そのいずれにより信頼性があるとも断定することができず、乾燥骨や模型を用いた他の実験等の結果を参酌する必要がある。

乾燥骨に対する実験結果のうち、川瀬研究は、衝撃エネルギー五・三九ジュール付近が亀裂骨折(線状骨折)を生ずる限界点であるとしており、これは、乾燥頭蓋骨の骨折を生ずるのに要するエネルギーは未乾燥・頭皮付きの頭蓋骨の一〇分の一であるとのガーディアンらの研究結果を前提とすると、ガーディアンらの実験結果とよく合致している。

同じく乾燥骨を対象とした実験に基づく柴田意見も、基本的にはガーディアンらの研究結果を追認するものである。もっとも、いったん頭皮の代替物として二重にゴム板を当てて実験をしながら、実験結果の評価にあたってはゴム板の吸収エネルギーを無視しうるとし、乾燥頭蓋骨と未乾燥・頭皮付きの頭蓋骨との間の骨折に要するエネルギー比一対一〇をそのまま適用しているのは、実験の方法として一貫性を欠いているといわざるを得ない。また、同意見は、乾燥骨に陥凹骨折を生ずる最小エネルギーを一〇・二ジュールとしており、右はガーディアンらの実験で亀裂骨折を起こすのに四五ないし一〇二ジュールを要したことに基礎を置くものであるが、右実験結果によれば、乾燥骨の骨折に要する衝撃エネルギーを未乾燥・頭皮付き骨の場合の一〇分の一とした場合、一〇・二ジュールまでは(陥凹骨折はもとより)亀裂骨折を生じない場合がある、ということがいえるにすぎないから、右最小エネルギーの数値に関する見解は根拠に欠け、採用することができない。

生きた猿を対象とした佐野らの実験結果に基づき、生死を分ける墜落速度毎秒一一・一メートル、猿の体重を一〇キログラムとして墜落時の運動エネルギーを計算すると約六一六ジュールとなる。右実験結果では、境界線より多少衝撃が低いだけでも猿は大した異常を示さなかったといい、死亡と頭蓋骨骨折との間にどの程度の結び付きがあるのかやや問題であるが、一応右境界線の運動エネルギーを陥凹骨折を起こすのに必要なエネルギーと仮定して、川瀬の実験結果に基づき、その一・五分の一程度を亀裂骨折を生ずるのに必要なエネルギーと考えることにすると、約四一一ジュールである。このように、猿の場合、骨折にはかなり高いエネルギーを必要とするかに見えるが、この数値を直ちに人間に当てはめるべきではないであろう。

模型を使った実験に基づく江守鑑定によると、二〇〇グラムの石塊が衝突して生体に線状骨折を生ずるのは、その速度が毎秒一四メートル以上の場合であるというのであり、この場合の運動エネルギーを計算すると一九・六ジュールである。この結果は、ホジソンらの実験結果とよく合致している。江守鑑定について、渡辺一衛は、右鑑定の基礎とされている日米野球事故における選手の受傷部位の骨の厚さを右鑑定で措定された六ミリメートルより薄いはずであると言うが、前示のとおり右受傷部位の骨の厚さが六ミリメートル程度であった可能性もかなりあり、右批判は必ずしも当たらない。しかし、人の頭蓋骨の厚さ、強度にかなり大きな個体差があることは、〈証拠〉のほか、前記ガーディアンらの研究をはじめとする頭部又は頭蓋骨を使用した研究においてしばしば指摘されているところ、江守鑑定は、日米野球事故という特定の場合の骨折現象にその基礎を置くものであるにもかかわらず、右受傷部位も厳密には明確にされておらず、勿論骨の厚さも一般的、平均的な数値からのごくおおざっぱな推測にとどまるのであり、ボールの衝突の角度等も不明であって、その根底の脆弱性は否み難いものがあるといわなければならない。

以上のとおり、陥凹骨折を生ずるのに必要な衝撃エネルギーのレベルについては、ガーディアンらの研究結果及びこれと合致する川瀬研究、柴田意見と、ホジソンらの研究結果及びこれと合致する江守鑑定とが対立しており、そのいずれを採るべきか明確な決め手はない。

そうすると、ガーディアンらの研究結果によった場合には、陥凹骨折を生ずるには六八ジュール前後の衝撃エネルギーを要することになり、ホジソンらの研究結果によった場合には、陥凹骨折を生ずるには三〇ジュール前後の衝撃エネルギーを要することになる。この結果を磯部鑑定による発射された新型ガス筒及び投石の有する運動エネルギーと比較すると、前者の六八ジュールは、発射された新型ガス筒については七〇メートル位までの飛翔距離内であれば有するエネルギー量であるが、投てきされた石塊(質量二〇〇グラム)についてはその到達距離いかんを問わず通常有しないエネルギー量であるから、本件骨折が新型ガス筒によって生じた可能性はあるが、投石によって生じた可能性は少ないことになる。これに対し、後者の三〇ジュールは、新型ガス筒においては一〇〇メートル位までの飛翔距離内であれば有するエネルギー量であり、投石においてはその到達可能距離(五〇メートル前後)内であれば有しうるエネルギー量であるから、衝撃エネルギーの面からみると、本件骨折が新型ガス筒によって生じた可能性も、投石によって生じた可能性もあるということになる。

ところで、前記のとおり、ガーディアンらは頭蓋骨の部位によって骨折を生ずるのに必要な衝撃エネルギーに差があることを認めていないが(もっとも、その一方では実験結果のばらつきの一因を打撃の部位の違いに求めており、やや一貫しない。)、その実験方法及び実験結果からみて、この所見は十分な裏付けのあるものとはいい難い(〈証拠〉によれば、頭蓋骨の中で特に薄いのは側頭骨や前頭骨及び頭頂骨の下縁の側頭骨に近い部分であるが、これらの部位はガーディアンらやホジソンらの実験の対象にされている部位ではない。)。むしろ江守鑑定は、前示のとおり衝突によってアクリル板に相似な亀裂を生ずる鋼球の速度は板厚に比例するとし、また、〈証拠〉によれば、日本人成人男子の頭蓋骨の厚さは、部位によって、側頭骨鱗部中央の平均一・七二五ミリメートル(最薄〇・四三ミリメートル、最厚六・〇〇ミリメートル)から外後頭隆起最突出点の平均一六・三五一ミリメートル(最薄六・六三ミリメートル、最厚二七・〇九ミリメートル)に至るまで甚だしく異なっているのであるから、右江守鑑定における実験結果を骨の破壊にも類推すべきであろう。亡薫の頭蓋骨の厚さが陥凹中央部で一・五ないし二ミリメートル、陥凹後縁で五ないし六ミリメートルであることは前記のとおりであり、このように陥凹中央部の骨が極めて薄かったことは、通常の場合より低いエネルギーでも骨折が起こり得たことを意味するものと考えられる。試みに計算すると、ガーディアンらの研究において選ばれた衝突部位のうちで最も骨が薄いと思われるのは〈証拠〉に照らし頭頂骨後部の左右両側であるが、同証によれば、これに最も近い計測部位の平均の骨の厚さは約四・九四ミリメートルであるから、この部位に骨折を生じさせるのに同研究による四五・二〇ジュールの衝撃エネルギーを要するものとし、亡薫の陥凹骨折中心部の骨の厚さを二ミリメートルと仮定した上、骨の厚さと衝突物体の速度との間に前記江守鑑定にあるような関係が存するものとするならば、右中心部に骨折を生じさせるのに必要なエネルギー(E)は、次の計算式により約七・四一ジュールとなる。

E=45.20÷(4.99/2.00)の2乗≒7.41

いったん一箇所に亀裂が発生すると、それが周辺に広がり易いことは、ガーディアンらの研究、江守鑑定において指摘されているところである。そうすると、一般に骨折の発生に最小限度必要な衝撃エネルギーの量に関してガーディアンらの研究、ホジソンらの研究のいずれを採るべきかは別として、本件の場合については、石塊も衝撃エネルギーの観点からは成傷器たりうるものとみるべきである。

結局、衝撃エネルギーの面から成傷器を特定することはできない。

〈2〉 次に、衝撃加速度の点について検討する。

衝突前の運動物体の速度、より厳密には、衝突によって生ずるその速度の変化(衝撃加速度)が骨折の発生にある程度関係をもつことは、川瀬研究によって明らかにされている。右研究によれば、乾燥頭蓋骨の骨折に要する衝撃加速度の最低限度は五〇g(衝撃持続時間一〇ミリ秒前後の場合)とされるが、これは質量一一〇〇グラムの物体を落下させた場合であり、質量の異なる物体についてはこれと異なる数値となる可能性があると考えられる。この点について、佐藤意見は、右衝撃加速度の数値と物体の質量とは反比例するとの仮説に立って計算し、衝撃持続時間を一〇ミリ秒と長めにとった場合でも、質量二〇〇グラムの石塊が衝突した場合の衝撃加速度は二七五gとなるとし、更に、未乾燥・頭皮付きの頭部に骨折を起こさせる場合にはその一〇倍すなわち二七五〇gの衝撃加速度を要するとする。

しかし、川瀬研究において明らかにされているとおり、そもそも頭蓋骨の骨折を生ずるための要件として衝撃エネルギーのほかに衝撃加速度が挙げられるのは、比較的質量の大きい物体が比較的低速で衝突する場合には、エネルギー量の点では骨折を生ずるのに十分であっても、ある程度以上の衝撃加速度が存在しないために骨折を生じない場合があることから、衝撃エネルギーとは別個に、衝撃加速度が一定のレベル以上であることが骨折発生のための第二の要件とされたものである。そして、磯部鑑定においては、ガス筒又は石塊が飛来して衝突する場合の衝撃加速度を川瀬研究に基づき一律に一〇ミリ秒として計算し、この点については格別の異論もみられないところであるから、前掲のV=1/2・GTの式からして、同種の物体同士の衝突の場合、衝撃加速度は原則的に物体の速度に比例するものとみられる。ところが、衝突する物体の質量と骨折に必要な衝撃加速度の量との関係が前記佐藤意見にあるようなものであるとすれば、(一定量の衝撃エネルギーに関しては、物体の質量と速度の二乗とが反比例の関係に立つのに対し、一定量の衝撃加速度に関しては、質量と速度とが反比例の関係に立つ結果)物体の質量が大となるにつれて、骨折発生のためのエネルギー上の要件を充たすのに必要な速度が減ずる割合よりも衝撃加速度上の要件を充たすのに必要な速度が減ずる割合の方が大となり、衝撃加速度が骨折発生の独立の要件とされた趣旨にそぐわない結果となる。現に、前示の川瀬研究における実験の結果に照らしても、質量と骨折の発生に必要な衝撃加速度との間に佐藤意見のような関係が存在しないことは明らかである。また、乾燥した頭蓋骨と未乾燥・頭皮付きの頭蓋骨とでこれに骨折を生じさせるのに必要な衝撃加速度にどの程度の格差があるかについては、後述するとおり後者を前者の一〇倍とみる見解と三・一六倍とみる見解とが一応考えられるが、前記佐藤意見に従うと、質量九〇グラムのガス筒によって未乾燥・頭皮付きの頭蓋骨に骨折を生じさせるには、前の見解によれば六一〇〇g以上の、後の見解によれば一九〇〇g以上の衝撃加速度が必要となる。そうすると、磯部鑑定において測定されたガス筒の衝撃加速度からみて、ガス筒によっても骨折を生じさせることは不可能といわなければならなくなる。

更に、前記のように未乾燥・頭皮付きの頭蓋骨に骨折を生じさせるのに必要な運動エネルギーが乾燥頭蓋骨の場合の一〇倍であるとされることから、衝撃加速度についても同様に一〇倍であると推定することにも疑問がある。すなわち、乾燥した頭蓋骨と未乾燥・頭皮付きの頭蓋骨とで、それに骨折を生じさせるのに必要な衝撃加速度がどのように異なるのかを直接に知ることのできる資料は存しないが、前記のとおり衝突物体の速度と衝撃加速度とはほぼ比例する関係にあることからすると、同一の質量を有する物体の衝突について比較した場合、ある衝突の運動エネルギーが他の衝突の運動エネルギーの一〇倍であったとしても、両者における衝撃加速度の比は一〇倍ではなく、一〇の平方根すなわち三・一六倍となるにすぎないのであり、運動エネルギーの格差が一〇倍であることから衝撃加速度の格差も一〇倍であると考える根拠は見当たらない。エネルギー格差を衝撃加速度の場面に移し変えた右の三・一六倍という数値が、そのまま骨折発生のための要件としての衝撃加速度の値に関して、乾燥した頭蓋骨と未乾燥・頭皮付きの頭蓋骨との間に存する格差に相当するとは直ちに断じ難いが、他に右格差を知る手がかりはないから、これをもって一応の目安とすべきであろう。

付言するに、〈証拠〉によれば、小林肇らは、人の乾燥頭蓋骨(その表面に頭皮に似た緩衝能をもつものとして厚さ五又は一〇ミリメートルのチオコールゴムを固定し、内部に鉄粒を入れたビニール袋を挿入して重量五キログラムとし、吊り下げたもの)に硬式野球ボール(重さ約一四〇グラム)を衝突させる実験に基づき、右のように生体の頭部に近似させた頭蓋骨に二五〇g以上の衝撃加速度(同証中に掲げられた実験データ(〈証拠〉)及び衝撃波型図をみると、右g値は最大衝撃加速度ではなく、衝撃持続時間中の平均衝撃加速度を示すもののようであるから、前記のように衝撃波型の三角形の類推により最大衝撃加速度をその二倍と見れば、五〇〇g以上の最大衝撃加速度ということになろう。)を生ずるようなボールの衝撃は骨折を起こさせる可能性が十分にあるとの結論を得ている。しかし、右実験は吊り下げた頭蓋骨の衝撃加速度を測定したものであり、固定した頭蓋骨上に落下させた物体の衝撃加速度を測定した川瀬研究とは測定対象を異にしているので、両者の測定値を直接に比較しても意味がない。

以上論じてきたのは亀裂骨折を含めた骨折を生ずるのに必要な衝撃加速度であり、陥凹骨折を生ずる場合には更に大きな衝撃加速度を必要とするものと考えられる。前示のとおり、江守鑑定によれば、陥没骨折を生じさせるのに必要な衝突物体の速度は、亀裂骨折を生じさせるのに必要な速度の約一・五倍であるから、再び衝撃加速度と衝突物体の速度とがほぼ比例するという前記の法則に従うと、衝撃加速度についても亀裂骨折の場合の一・五倍のものが必要とされるであろう。更に、衝撃加速度についても、亡薫の受傷部位が骨の特に薄い部位であった、という事実を考慮に入れるべきである。前示のとおり、江守鑑定によれば、動的破壊においては、頭蓋骨に亀裂を生じさせる衝突物体の速度は頭蓋骨の厚さに比例するところ、川瀬研究の実験で打撃の加えられた部位の骨の厚さは、前記皆藤の調査結果に照らせば平均値四・七ミリメートルを下らないとみられるのに対し、亡薫の陥凹骨折中心部の骨の厚さは二ミリメートル弱で、前者の約五分の二であるから、これに骨折を生じさせるのに必要な衝突物体の加速度も、川瀬の実験の部位におけるそれの五分の二程度と考えられる。

以上のように、亡薫の受傷部位に骨折を生じさせるのに必要な衝撃加速度の値を決する上では様々な要素を考慮する必要があるが、その根本である右衝撃加速度の値と衝突物体の質量との関係を明らかにする資料がないので、具体的な値を決定することができない(なお、佐藤意見は、一般に飛翔物体が衝突した相手の物体から離れる速度は零ではなく、少なくとも衝突前の速度の二分の一以上であるから、その衝撃加速度は磯部鑑定で計算されたものより更に小さくなるとする。しかし、右衝突後の速度がどうなるかは衝突の態様いかんに依存する点が多いと考えられ、右見解の根拠は明確を欠く。ガス筒の場合には、右速度は様々でありうる可能性があり、したがって、実際の衝撃加速度は磯部鑑定によって与えられた数値より小となることが考えられるのに対し、投石によって頭蓋骨に陥凹骨折を生じた場合、衝突後の石塊が大きな速度を保っているとは考え難いから、同鑑定のように右速度を零とみて衝撃加速度を計算しても大きな誤差は生じないであろう。前記のとおり、江守鑑定においても、ガス筒又は石塊が頭部曲面にほぼ垂直に衝突した場合、両者の質量の差からみて衝突後の速度はほぼ零になるとされている。)。

ひるがえって考えると、別紙一三の表で明らかなとおり、川瀬研究によれば、衝撃エネルギーの量のほかに衝撃加速度を骨折発生の要件として取り上げる必要があるのは、質量の比較的大きな物体(実験では五二〇〇グラム)が比較的低速(実験では毎秒三・八メートル前後又はそれ以下。落下距離にして七〇ないし七五センチメートル以下)で衝突する場合であり、本件で問題になっているガス筒や石塊はいずれも質量の比較的小さい物体であるから、その衝突による骨折については特に衝撃加速度の要件を論ずる必要はないのではないかとも推測されないではない。

結局、衝撃加速度の点から見た場合、本件骨折は、発射されたガス筒、投石のいずれによって生じたと断ずることもできない。

9  結論

以上、亡薫の受傷の原因について、目撃者の供述、受傷当時の周辺の状況その他の諸事情、創傷の状況、これについての法医学的見地及び物理学的見地からの諸見解の検討を行った。以下において、これを総合して亡薫の受傷の原因を認定することとするが、受傷時の状況及び弁論の全趣旨からいって、本件の成傷器は機動隊側が発射したガス筒か同盟集団側が投じた石塊のいずれかとしか考えられない。したがって、その一方の蓋然性が低下すれば、それは他方の蓋然性の増大を意味するということである。

まず、法医学的見地から言えば、成傷器は直径三センチメートル前後のほぼ半球状の平滑な作用面を備えた物体又は作用面の一部がこれに比較的近い形状を有し、かつ突出部とこれに連なる鈍稜を備えた物体であると考えられ、新型ガス筒あるいは模擬筒の頭部はこれにきわめてよく適合している。これに対して、投石に用いられた石塊は、同盟集団が事前に準備していたもので、このように大量な石塊を調達する場合には砕石に頼らざるをえないのが通常であり、現に本件事件発生の前後の投石に用いられた石塊のほとんどが砕石であったことは前示のとおりであって、砕石は粗い表面と不規則な稜角を有すると考えられるから、石塊が成傷器である可能性を全く否定することはできないにせよ、ガス筒が成傷器である可能性の方が遥かに大きく、他にこれを否定すべき特段の事情が認められない限り、ガス筒が成傷器であると推認すべきものといわなければならない。

物理学的見地からみた場合には、新型ガス筒ないし模擬筒は明らかに成傷器としての適合性を有するが、石塊が成傷器である可能性も否定することはできない。

受傷時に最も近い瞬間の亡薫の姿勢を目撃している原田節の供述と創傷の位置、方向からすると、成傷器の飛来した具体的な方角は、同盟集団側からである可能性もかなりあるが、これを断定することはできない。

他方、目撃者の供述中、ガス筒が成傷器であることを決定的に裏付けるような内容を有する大橋正明、森山太一及び吉田孝信の各供述が採用できないことは前示のとおりである。

更に、現場の状況から、ガス筒、石塊のいずれが成傷器である可能性が高いかを考えると、現場は機動隊と同盟集団側との衝突が起こった場所であるとはいえ、亡薫ら野戦病院要員と国道上の機動隊との間に衝突らしいものがあった形跡はなく、また、亡薫に衝突した可能性のある使用済みのガス筒がその受傷した場所の近くで発見された形跡がないことは、ガス筒が成傷器であることを疑わせる事情である。しかし、他方において、同盟集団側で、機動隊との衝突が予想される現場付近に臨時の野戦病院を設置することは、同盟集団に属する者たちには周知のことであったと推認されるし、〈証拠〉によれば、現に本件事件が発生した当時斉藤方出入口付近にピケット・ラインを張った者が野戦病院と大書した標識を掲げ、また、その一部の者は野戦病院と書いたヘルメットやゼッケンを着用していたことが認められる上、右のようにピケット・ラインが張られていた事実そのものに徴しても、前示のようにある程度の危険は感じられたとはいえ、同盟集団側から亡薫のいた方向に誤ってにせよ投石される可能性は高くなかったと認められる(前示のとおり、斉藤方に裏手から進入した機動隊の別動隊が表の国道側に達したのは亡薫が受傷したのちのことであり、したがって、国道上の同盟集団から右別動隊をめがけての投石が右受傷の段階であったとは考えられない。)。また、前示のようにガス筒の進行はかなり不規則であって、狙って命中するものではないが、その反面いわゆる流れ弾が飛来する可能性は否定することができず、〈証拠〉によれば、本件事件当日斉藤方に相当数のガス筒が飛来したことが認められる。

以上を総合すると、亡薫にその死因となった負傷をさせた成傷器については、法医学的な分析の結果によればガス筒と推定され、石塊とみる余地が全くないとはいえないとしても、これに適合する形状を有するものが投石に用いられた可能性は極めて小さい。物理学的な分析の結果では、ガス筒、石塊のいずれの適合性も否定できない。現場の状況等のうちには、ガス筒でなく同盟集団側の投げた石塊が成傷器ではないかとの疑いを抱かせるような事実も若干あるとはいえ、右事実は前示推定を覆すに足りるものとはいい難く、他に右推定を覆すに足りる証拠はない。そうすると、結局ガス筒を成傷器と認定するのが相当である。

四  帰責性

前示のとおり、受傷時の亡薫の頭部の傾き等の状況を確定することはできないから、ガス銃を水平又はこれに近い角度で発射したと一概に認めることはできない。また、そのほか本件全証拠によっても、ガス銃が亡薫を狙って発射されたものと認めることはできない。しかしながら、ガス銃がその本来の使用の目的である集団の違法行動の制圧のため相当の仰角(〈証拠〉によれば、警察側も、特別の指示がない限りガス銃の発射にあたっては三〇度以上の仰角をとるよう指導していたことが認められる。)をとって発射された場合であっても、ガス筒自体の命中により人に傷害を与える危険性は常に存するし、しかもガス銃は命中精度が劣悪なのであるから、その発射に伴い直接制圧の対象とした集団以外の者にも傷害を与える危険がある。したがって、多数人の集団の違法な暴力的行動に対し、これを制圧するため、ガス筒を使用することがやむをえないと考えられ、その使用自体が正当視されるときであっても、少なくともその制圧対象の集団以外の者に命中させて被害を与えることがないよう、発射の方向、角度、周囲の状況に相当の注意を払うべきであり、これを怠って被害を与えた場合には、国家賠償法上の責任を免れない。前示の諸事情を勘案すると、亡薫は受傷当時機動隊と対峙、衝突していた同盟集団に属せず、右集団から二〇メートル前後離れ、機動隊との位置関係からいっても、右集団とは明らかに異なる場所において異なる行動をとっていたのであるから、同人に命中させる危険のあるような態様でされたガス銃の発射には、特段の事情のない限り、前記の点での過失があったものと認めるべきである。そして、本件において右特段の事情があったことの主張・立証はない(なお、本訴訟において控訴人らは専ら機動隊員がガス銃の水平発射を行ったことをその過失の内容として主張しているが、他方において控訴人らが機動隊員の故意をも主張しているところからみれば、右過失の主張は機動隊員がガス銃の発射に際して前示のような注意を怠ったとの主張を包含するものと解するのが相当であり、本件訴訟の経過・内容に照らし、このように解しても被控訴人県に防御上の不利益を与えるものとは考えられない。)。

五  亡薫らの被った損害

1  逸失利益

〈証拠〉によれば、亡薫は昭和二四年六月七日生まれの健康な男子であったこと、同人は本件事件当時大和自動車株式会社江東営業所にタクシー運転手として勤務し、昭和四九年度一五一万八八六二円、昭和五〇年度一七〇万三一四五円、昭和五一年度一九九万九〇七五円の給与を受けたことが認められるから、本件事件当時は一七四万〇三六〇円を下らない年収があったものと認めるのが相当である。そして同人はなお六八歳に達する時まで稼働することができたものと認められ、生活費として収入の三〇パーセントを控除し、ライプニッツ方式により中間利息を控除してそのうべかりし利益の現価を算出すると、次の計算式により、二〇九〇万三九八六円となる(なお、〈証拠〉によれば、大和自動車株式会社の運転手の定年が六〇歳であることが認められるが、昭和五三年度賃金センサス産業計、企業規模計、学歴計第一表によれば、高校、旧中卒六〇ないし六四歳の年収は亡薫の右基準収入を上回るから、右定年を顧慮せず、右のとおり算出するのが相当である。)。

1,740,360×(1-0.3)×17,159= 20,903,986

2  慰謝料

亡薫が控訴人らの子であることは当事者間に争いがなく、これに前項認定の事実その他本件に現れた諸般の事情を考慮すると、本件受傷に基づく死亡により亡薫及び控訴人らの被った精神的苦痛に対する慰謝料額は、亡薫の分として一〇〇〇万円、控訴人らの分として各三〇〇万円とするのが相当である。

3  損害賠償債権の相続

前記の身分関係によれば、控訴人らはそれぞれ亡薫の損害賠償債権を二分の一ずつ相続したことが認められる。

4  弁護士費用

弁論の全趣旨により、控訴人らは、控訴人ら訴訟代理人に本件訴訟の追行を委任し、その報酬を支払うことを約したことが認められるところ、前記不法行為と相当因果関係あるものとして被控訴人県が負担すべき弁護士費用は二五〇万円とするのが相当である。

第三結び

以上の次第により、被控訴人県は、控訴人らに対し各一九七〇万一九九三円及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五二年五月八日から支払済みまで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払うべきであって、控訴人らの同被控訴人に対する本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求及び被控訴人国に対する請求はいずれも理由がないからこれを棄却すべきである。よって、原判決中これと趣旨を異にする被控訴人県に対する部分を右のとおり変更し、被控訴人国に対する請求に関する控訴を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九五条、九六条、八九条、九二条本文、九三条一項本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 丹野達 裁判官 加茂紀久男 裁判官 河合治夫)

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